おやじのぶりっこについて

「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>私はNY在住の24歳、大学生です。私の彼は39歳のプエルトリコ人の刑事です。んもう、おやじの哀愁ぷんぷんです。札を数える時に、まずペロリと親指を舐めるしぐさや、椅子に座って靴を脱ごうとするときの(どっこいしょ)といった感じや、適度にぽってりと出っ張ったビール腹などは、おやじ好きの私にとってはたまりません。ですが、最近(こいつ、わざとやっているな)と感じることが時々あって、私も最初はそれもまた可愛かったんですが、だんだんうざったくなってきました。この(僕って中年! かわいいでしょ、デヘ)な態度は目に余るものがあります。いったい、どうしたら彼にこれを止めさせることが出来るのでしょうか? ちなみに村上さんも、この(おやじのぶりっこ)を使って、若い娘を引っかけたりするのでしょうか?


<村上さんの回答>そうですか、おやじ好きの方なんですね。そういう人がちゃんといるんだ。知りませんでした。しかしあなたも「39歳のプエルトリコ人の刑事」なんて、ずいぶん渋いものを見つけてきましたね。僕はとくに「おやじのぶりっこ」をやってはおりません。なるべく「じじむさく」ならないように、美しく年をとらねば、と心がけて日々を送っているのですが、これはなかなか簡単ではありません。僕の考えるおやじ化しないための基本的なポイントは

(1)背筋をのばして歩く

(2)腹に贅肉をつけない

(3)静かに食事をする


以上三点だと思います。とりあえず最低限として。

<まるちょうの考察>おやじといえば、まるちょうも堂々たるおやじである。村上さんは「おやじ化」を嫌がっておられるようだが、まるちょうは必ずしもそうではない。思うに「おやじ化」って二通りあると思うのね。善いおやじと悪いおやじ。質問者の彼氏は、品質の悪いおやじになりつつある。おやじを気取るようになったら終りだ。「善いおやじ」ならば、常に「自分が他でもないおやじであること」を恥じるべきだ。「おやじのぶりっこ」なんてのは最低である。「年をとってすいません」と腰を低くして、世間一般に相対するのが善いおやじである。プエルトリコ人の中年刑事も、そのへんの意識が変わると彼女も惚れ直すかもしれない。

悪いおやじとは何ぞや? ひとことで言うと「自分に同情しているおやじ」である。その延長線上に「姿勢が悪くなる」「腹が醜く出てくる」「静かに食べられない」という現象が生ずる。「腹が出ている」というのは、まるちょうは該当する。気をつけなくちゃ。そう、この「気をつけなくちゃ」という気持ち。この問題意識を持たず、老いていく自分に抗えないおやじは、悪いおやじである。老いていく自分に大いなる哀しみと羞恥心あるいは嫌悪を抱き、なにくそ魂を燃やすおやじこそ「善いおやじ」だと思う。

まるちょうの中で、「善いおやじ」の具体的なイメージは、ずばり高倉健です。善いおやじは常に孤独である。独り耐える・・そんなイメージ。人生は辛い。でも、それを人のせいにしない。高倉健のことをそんなに知っているわけじゃないけど、あの人がまとう雰囲気は、そんな「善いおやじ」を連想させる。

村上さんのおっしゃる「美しく年をとる」ということ。自分の中の「美しさ」を忘れずに、老いていく。要するに「品格」のことを言ってるのね。坂東眞理子の「女性の品格」は有名だけど、同様に「男性の品格」も講じられてしかるべきである。ダンディズム、紳士道、武士道などで表される「精神的な志向」。まるちょうなんかは、こうした高尚なものは、あまり縁がないんだけど、やはりそれなりに勉強しなければならないと思っている。「俺なんか、ユニクロでええわ~」なんて言ってるのは「自分に同情している」状態なのかもしれない。年齢相応の「渋み」をまとうことが出来ればいいなぁ、なんて夢想している。「美しく年をとる」というのはとても難しいけど、万人の願いですよね。

以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。