36歳独身・・「家族の食卓3」から

漫画でBlogのコーナー! 例のごとく、まるちょうお気に入りの短編漫画を題材として、Blog書いてみる。今回は「家族の食卓3」(柴門ふみ作)から「36歳独身」という短編を取り上げる。思えば私も「36歳で独身」だった。そういう意味で「入っていきやすい作品」ではあります。まずはあらすじから。

36歳の高梨は、ハンサムで女泣かせのカメラマン。ハンサムなだけに、女は次から次へと近づいてくる。若い頃は女優や人妻など、それこそ手当り次第。刃傷沙汰もあった。気がついたら、普通の恋愛がしづらい状況。腰を落ち着けて恋愛しようとしても、結局普通の女の子は逃げてしまう。「業界でも札つきのプレイボーイ」・・一度たった悪い評判は、そう簡単には拭えないのだ。

ある日、母親が釣書を持ってくる。高梨は全くその気はなかったが、結局見合いをするはめに。しかし、相手は「華のない」女性。会話も弾まない。後日、女性の方から断りの連絡が入ってきた。曰く「人をバカにするにもほどがある」と。「あんなにハンサムなのに、なんで見合いなんかする必要があるのか?」という非難である。しかし、母親は「あんなに心のきれいなシンちゃんが、どうして人を馬鹿にするもんですか!」「うちのシンちゃんは、そんな人間じゃありません!! シンちゃんはうちの自慢の息子です」と息子を信じて疑わない。それまで高梨は、そんな母親をうざったく思いながらも、拒否することができなかった。しかしようやく、36歳にもなる自分に対する、過保護と過信をたしなめる。母はため息で部屋から出て行く。


後日、母は息子に一通の手紙をしたためる。

・・シンちゃんがどんなに悪いことをしても、おかあさんは決してシンちゃんを嫌いにはなりません。なぜなら・・それはおかあさんだからです。家族だからです。でも、おかあさんもそんなに長くは生きられません。おかあさんの代わりにシンちゃんを一生嫌いにならない人を見つけて下さい。結婚とはそういう相手と暮らすことなのです。

高梨はこの手紙を読んで、ようやく気づく。メイクのチカちゃんは32歳の普通の女性。固い信頼関係のある仕事上のパートナーなのだが、少なくとも恋愛の対象ではなかった。そしてチカちゃんは高梨のことを、当たり前のように「ごく普通の男性」として接していた。母の手紙を読んで、高梨の心の中で何かが弾けた。

「さっきなんでぼくのことかばってくれたの? お袋の前で」「えっ・・あーそれは・・ それは・・きっと。あたしも高梨さんは、そんな人じゃないと思ってるからじゃないですか?」「さんざん悪い噂聞いてるだろ?」「うーん・・けど、なぜかあたし、高梨さん、嫌いになれないんですよね」「どうして?」「さあ・・どうしてでしょうねぇ」「・・チカちゃん! 結婚しようか」

・・都会の遠景で幕引き。

前述の通り、まるちょうは30代半ばで独身だった。作中でチカちゃんがこう言ってる。「男で35過ぎて独身だと、性格に重大な欠陥があるか、ホモかマザコンかと世間は見なすものよ」これ、柴門さん一流の辛辣な言葉なんだけど、核心を突いてるから困る。まるちょうはホモでもマザコンでもないが、当時重大な欠陥を持っていた。あの頃、数人の女性と付き合ったけど、長続きしなかった。あの「味気ない距離感」の根底には、こうした「世間一般の見方」があったのね。でもそんな中、敢然と私に飛び込んできてくれたお蝶夫人♪に感謝です。そういう意味では、彼女は本当に勇気のある人だと思う。自己の純粋な認識力を信じる人だ。もしかすると、チカちゃんに近い心的構造があるのかもしれない。世間一般の先入観に流されないというか。結局、日常的に一緒に仕事していると「その人が持っている素の性質」というは、分かってくるものだ。そういう直観を行動に移せるかどうかが、人生の分かれ目なんだね。

ところでみなさん、「おかあさんの代わりにシンちゃんを一生嫌いにならない人を見つけて下さい。結婚とはそういう相手と暮らすことなのです」・・この柴門さんのご意見、どうだろうか? 所詮理想論との謗りもあるだろう。でも、シンプルに結婚という制度を見つめ直したとき、この言葉は新鮮さを以て輝くような気がする。極論すれば「根本的に嫌い」になれば、一緒に暮らすことはできないのだ。そうならないために、ひとつ重要なことを挙げるとすれば「アンテナを鈍らせること」じゃないだろうか。言い換えれば、寛容になること。まぁ程度問題なんだけど。アンテナが鈍りすぎると「無関心」になっちゃうからね。チカちゃんの「なぜか嫌いになれない」というのは、好ましい心情だと思う。「結婚生活は、そんな甘っちょろいもんじゃない!」との叱責があるとしても。

上記の母の言葉は、違う角度から光を当てると「虚飾よりも平凡を選びなさい」ということになるかもしれない。結婚生活に一番必要なものは「平凡さ」だと、つくづく思う。何でもない日常をこつこつ積み上げるプロセスが、幸福を紡ぎだす。高梨の母は多分、このことを言いたかったんだろう。

以上、短編漫画をモチーフに語ってみました。