個性的とは?



「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>最近気になることなんですけど、なんか「自分は不思議な存在だ」っていう変な自己主張するコがすごく多いような気がします。たとえば「個性派タレント」として売り出すアイドルが多いように。村上先生の作品を読んでいると、よく「僕は平凡な存在だ」というような記述があるような気がします。村上先生はご自分のことを平凡な存在だと思っていますか? 素朴な疑問です。(22歳 女 職業ライター)

<村上さんの回答>大変むずかしい質問です。僕は自分のことを「限定された特殊な能力を少しはもっている平凡な人間である」と認識しています。もし小説家にならなかったとしても、僕はだいたい今と同じような生き方をしていただろうと思います。僕は本当に「個性的」な人を何人か知っていますが、「個性的」であるというのは病と同じで、本人にとってはけっこうきついだろうなと思います。「個性的」だから何かを成し遂げられるというものではないのかもしれません。


<まるちょうの考察>「個性的」ってなんだろう? 村上さんが仰る通り、考え始めると難しいテーマです。メディアにおける「個性」というのは、ほぼ間違いなく「その人そのもの」を表すものではない。どこかに「演じている」部分があるはず。自分の本来の個性に、どこか「味付け」をして売り出す。特にテレビの世界はそれが顕著だろう。具体的な例を挙げると、上地くんや一茂、半田くん、DAIGOなんかそうじゃないかな? この場合「演じる」ということが美徳にさえなっている。もちろん「演技」には、それなりの資質や努力が必要だろうし、称えられてよいのかもしれない。

断言してもいい。村上さんは、こうした「自分の個性に照らして演じる」ということは苦手なはず。だからこそ、メディア露出も極端に嫌うわけ。もともとが「出たがり」じゃないしね。そうそう、メディアにおける「個性」の背景には、言うまでもなく「強烈な自己顕示欲」が秘められている。逆に言えば「自己顕示欲が半端な奴」は、テレビに出る資格はないのだ。そういう流れで言うと、質問者の「個性派タレント」は、メディアにおいては当然の成り行きなんだと思う。ただ、その「自分が狙っている自己主張」が視聴者に受け入れられるかどうかは別問題。上記の四人は、大成功しているけどね。演じすぎると「うざい」という側面もあるかもしれない。

さて、それでは「平凡」にはどういった有利さがあるのか? まるちょうも「演じる」という資質は全くない「平凡」な人です。むしろ「自分の本体」に言動が一致することを美徳している。ひとことで表すと「正直」ということ。例の村上さんのスピーチも「できるだけ演じないで、ありのままの自分を表現する」というコンセプトだったと確信している。あのスピーチでのスタンディング・オベーション。あれこそ「平凡」の勲章ではなかろうか。虚飾を捨てた人格には、自然と真心のこもった人間関係が付いてくるものだ。逆に「個性を演じている」ような人は、取り巻きは多いかもしれないが、本当の太いパイプで築かれた人間関係は作れないだろう。まるちょうは、そんな風に考えます。

最後に、村上さんが言うような「本当に個性的な人」はどうなのか? これは村上さんが言うとおり「一種の病」なのであり、本人の苦悩は相当なものだろう。でも、それを乗り越えて何かを生みだした時、大いなる変革がもたらされる。ざっと思いつくだけ挙げると、アインシュタイン、エジソン、太宰治、ヒトラー、ニーチェ等々。芸人で言うと江頭2:50はこちら側かもしれない。結論的には、何かを成し遂げるのに「個性的かどうか」は、あまり関係ない様に思う。一番大事なのは、己の信じる道を突き進むことに尽きる。以上「村上さんのQ&Aのコーナー」でした。