ミッドナイト・ラン/マーティン・ブレスト監督

「ミッドナイト・ラン」(マーティン・ブレスト監督)を観た。学生時代に観て「いいな~」と胸の中にしまっていた作品。

ざっとあらすじを記す。賞金稼ぎ(ロバート・デ・ニーロ)がニューヨークで心優しい会計士(チャールズ・グローディン)を捕まえて、ロスまで護送する。初めは飛行機で5時間の予定が、様々のトラブルを経て、車と列車のアメリカ横断逃避行になっていく。要するに中年のオッサン二人によるロード・ムービーである。出演者はほとんどオッサン。だから、ある意味とてもオッサン臭い映画です。でも、上記の二人の微妙な距離感が楽しめる佳作になっている。次のふたつの軸で語ってみる。

#1 格好いい「時代おくれ」の典型
#2 対照的な二人の男の友情


まず#1から。 デ・ニーロ演じる主人公ジャックのキャラが、思わず「あー、同類だ」と感じてしまう。要するに「社会における敗残者」なわけ。でも生きようとする愚直な情熱は人一倍ある。このキャラを今回再び観て、これってまさに阿久悠の残した「時代おくれ」のイメージそのものだと思った。

もともとシカゴ警察で腕利きの麻薬捜査官だった。しかし、曲がったことが嫌いで陥れられ、失職。そして離婚。今はしがない賞金稼ぎ。間違いなく「負け組」である。元妻はすでに再婚。でも、いまだに彼女が初めてプレゼントしてくれた腕時計を使っている。たまに、ちゃんと動いているかどうか、耳を近づける動作をする。元に戻らないと分かっていても、時計を捨てられないのだ。こうした描写って監督の肝煎りなんだろうけど、まさに「時代おくれ」なんだよね。もう、熱烈に愛してしまう。

会計士の薦めで元妻に逢いに行くシーンは、涙なしには到底観れない。長い間逢っていなかった中学校二年生の実の娘が、ジャックになけなしの貯金を差し出すシーン。これ涙腺を強烈に刺激される。我らが時代おくれの男ジャックは、それを固辞して娘を抱きしめる。涙は一切見せない。心の中で泣いているとしても。男だね~、クー!

「哀愁」なら分かる。なんで「格好いい」と感じるんだろう? まるちょうにとっては、ほとんど「憧憬」ですらある。結局、自分の「スジ」を愚直に通してしまう辺りなんだろうな。ジャックは、例の会計士を指定時刻までにロスに運んで、結局解放してやる。自分の仕事はある意味無意味で金にならないけどやり通した。おまえは行っていいよ、てな感じ。ほんま不器用なんだけど、そこが格好いいねん!(ToT)

次に#2について語る。助演のチャールズ・グローディンが、とてもよい味。ある意味宗教家のような会計士を実に自然に演じている。その慈愛に満ちた眼差しは、ジャックの不器用で粗野なキャラと並べると、とても可笑しい。タバコを止めないジャックに懇々と説教するくだりは、ほんま笑える。そして、思い出の詰まった腕時計を捨てられないジャックに「新しい時計を買った方がいいよ」と優しくアドバイスするシーンも、しみじみとさせる。ロス空港でジャックに解放された後、お礼に逃走資金の30万ドルを渡す。「これは賄賂じゃない、贈り物だよ」→ジャック「こいつめ~」原語では「You son of a bitch」この言葉をデ・ニーロが親しみのこもった笑顔で繰り返す。言葉の本来の意味は「ちくしょう、クソ野郎」とかそういう汚い意味。粗野なジャックが使いそうな言葉だけど、この場面に限っては「より親密さを増す言葉」として使われている気がする。ホントここのデ・ニーロの笑顔って、いいんだよなぁ~。


Would you have change for a thousand?
Are you a comedian? Get outta here, ya bum!
Looks like I’m walkin’

「1000ドル紙幣でおつりあります?」
「おめえ、馬鹿か? どっかいけ、くそったれ!」
「歩くしかないみたいだな~」

このラストシーンが、どうにも格好よくてね。まるちょうが愛してやまない名場面である。両替しようとしないのね。ジャンパーのジッパーを上げて襟を立てて、寒そうに歩いて行く。この救いようのない不器用さに、まるちょうは敬意を表します。一種の爽快さを感じてしまう。阿久悠がこれを観ていたら、きっとにんまりすることだろう(笑)。

以上、思い入れの強い「ミッドナイト・ラン」について語りました。