大野病院事件について(1)

福島県立大野病院産科医逮捕事件について語ってみたい。社会派でないまるちょうにとって、この事件に対してコメントするのは、正直言ってあまり気乗りがしない。ただ、医療者として看過できない要素を含んでいる。自分の直観を信じて、この重いテーマについて書き留めておきたい。

事件の概要についてはWikipediaを参照されたい。Wikiが公正中立という保証は一切無いけど、まぁとりあえずの事実認識には悪くないと思う。すごく錯綜したテーマなので、便宜的に次のふたつの項目に分けて語る。

#1 医療の功罪

#2 客観論と感情論



まずは#1から。医療とは二面的なものである。「病人を救う」という通常の面と同時に「病人を傷つける危険性」という面が厳然としてある。内科的な実例としてロキソニンという鎮痛剤を挙げてみよう。ごくありふれた薬だけど、薬の専門書を紐解くと、命に関わる重大な副作用というのが18個も記載されている。もちろん発生率としてはごく稀なのだが、そうした重大な副作用を起こし得るということである。問題は、ロキソニンを服用している人が、そうした事実をちゃんと認識しているか、ということ。もちろんしていない。処方する医者も、そんなこといちいち説明しない。だから日々ロキソニンは処方され、たくさんの痛みを持つ人々に恩恵をもたらす一方で、ごく稀ではあるが重大な副作用で誰かが生死の境を彷徨っていることになる。このような現象が、多くの医療行為に当てはまる。要するに、医療は基本的に諸刃の剣なのです。

大野病院事件は、そのへんの患者さんへの説明がどうだったのか。前置胎盤に合併した癒着胎盤という難産だったわけだけど、「生命に関わる」というニュアンスが、患者さんに伝わっていたのか? 報道などを読むと、患者側に「危険な出産になる」という認識が少ないように思う。「母体の死の可能性」に対する身構えというようなものが、あまりにも少ない。これは、術前の加藤医師の説明が不十分だったのか、あるいは患者側の理解が今ひとつだったのか・・どちらが悪いという議論は別として、この「インフォームド・コンセント」に関する失策が、大きくこの事件に影を落としていると推測する。

「お産」という医療行為は、通常は幸せをもたらすめでたいものだ。そこに突然「母体の死」という現実が突きつけられれば、急転直下、誰だって動転し医療サイドを恨むだろう。遺族の途方もない無念が「医師の刑事責任を問う」という司法の姿勢を後押ししたのは間違いないと思う。

医師は神様ではない。人間である。だからいつも100%とは行かない。危ない綱渡りをせざるを得ない時もある。そしてその結果、患者さんを辛い目に遭わすこともある。医師と患者が袂を分かち、裁判で敵と味方に分かれて争うというのは、とてもやり切れないことだと思う。次回は#2の「客観論と感情論」というお題で語ってみます。