雪かき

お題を決めて語るコーナー! 今回のお題は「雪かき」。まるちょうは現在、村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいる。その中で「文化的雪かき」という表現が出てくる。主人公の職業はライターなのだが、具体的に引用すると次のようになる。

僕は仕事のよりごのみをしなかったし、まわってくる仕事は片っ端から引き受けた。期限前にちゃんと仕上げたし、何があっても文句を言わず、字もきれいだった。仕事だって丁寧だった。他の連中が手を抜くところを真面目にやったし、ギャラが安くても嫌な顔ひとつしなかった。午前二時半に電話がかかってきてどうしても六時までに四百字詰め二十枚書いてくれ(アナログ式時計の長所について、あるいは四十代女性の魅力について、あるいはヘルシンキの街—もちろん行ったことはない—の美しさについて)と言われれば、ちゃんと五時半には仕上げた。書き直せと言われれば六時までに書き直した。

雪が積もれば社会のみんなが困る。だからせっせと雪かきをする。でもするからには、精一杯誠実に仕事する。決して手を抜かない。ある意味、純粋な消耗。まぁもちろん、単なる雪かきと違って仕事だから、報酬はちゃんとあるんだけど。


一種の言葉遊びとして「文化的雪かき」というのは面白いと思う。まるちょうは医師として健診業務に携わっているのだが、医師にとって健診業務とは「医療的雪かき」なのではないか?と、ふと思ったのだ。あまり深く考えずにお蝶夫人♪に、その表現について感想を聞いてみた。すると憤慨して次のように彼女は言った。「私は独身時代に看護師として健診業務に携わったけど、一度も『雪かき』なんて思ったこと無いよ!」と。私は心のどこかで彼女の憤りを予想していたのだが、いざ実際に怒られてみると自分の軽率さに呆れずにはいられなかった。そして、あらためて「医療的雪かき」という言葉の与えるネガティブな印象について考えることとなった。

「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公の「僕」は、アイデンティティの喪失とともに深い絶望の中で生きている。小説の筋としては、「僕」がうまくステップを踏みながら世界との繋がりを獲得していく過程を描いているわけ。だから、彼が何の仕事をしようが、面白くてやっているのではない。背中に「絶望」をしょっているのだから、仕事を愛せるはずなんかない。仕方なくやっている。だからこそ「雪かき」という表現なのだ。その点を、私はちゃんと把握していなかった。単に言葉遊びとしてしか捉えていなかった。

正直に言って、まるちょうは健診業務を愛しています。というか「人を診る」という仕事を愛している。内科外来であれ、健診であれ、受診者の体調面での悩みを聴取して、可能な限り助けになることをするという仕事に、私は満足している。そうした仕事に従事できることを幸せだと思っている。

だから「医療的雪かき」という言葉は、一面的には当てはまる表現ではあるけど、用いるべき言葉ではないのだ。天に向かって唾を吐く行為に等しい。ささやかではあるけど自分の仕事を愛して、向上心を失わず、誇りと責任を持つべきだと思う。その姿勢がある限り「雪かき」にはなり得ないのだ。

そうして自分なりに考えた結果をお蝶夫人♪に話すと、彼女も納得してくれた。結局どんな重要な仕事であっても、その人が健全な状態でなく仕事を愛せない状態であれば、「雪かき」へと堕ちる可能性を孕んでいる。やるからには満足できる仕事をしたい。自分の仕事を慈しんで生活したいと思う。そう思いませんか?

以上、「雪かき」というお題で語ってみました。