精神分析入門(4)/フロイト

引き続き「精神分析入門」から。最終回は「その他興味深いこと」と題して語ってみたい。みなさんは精神感応(テレパシー)を信じるだろうか? まるちょうは、そうした経験がないので何とも言えないけど、お蝶夫人♪は「虫の知らせ」的な夢を見たことがあるという。結論から言うと、フロイトは精神感応の現象を否定していない。「ある程度は認めざるを得ない」という立場です。実際の症例もいくつか提示されている。概して言えば、科学で割り切れない事象は必ずあるということか。フロイトはこんな風に語っている。長い引用ですが・・


大きな昆虫国家において全体意思というものがどのようにして成立するかは解っていません。ひょっとするとそれは、このような直接の心理的転移伝達という方法によって行われるのかもしれません。これが個体間の意思を疎通させる原始的、太古的手段であり、この手段が、系統発生的発展の経過の中で感覚諸器官によって受け取られる合図に頼ってなされるよりよき伝達方法に押しのけられるというふうに推定されます。ところがその古い方法は背景に温存されていて、ある種の条件のもとでは、たとえば熱狂した群衆の中でのように今なお頭をもたげるということがあるのかもしれません。

解り易い例を挙げると、小さな子供の感受性の強さ、特に不安観念は、背景にこうした精神感応があるのではないか。特に言語能力の発達に伴い、精神感応の力は衰退していく・・そんな仮説。みなさん、どうでしょうか?

さて、面白いネタをもうひとつ。「女性的ということ」という講義で「陰茎羨望」という考え方の重大性が呈示されている。女性であることに根源的な意味合いを持つ心理的背景。女の子が男の子の性器をみて、ただちにその違いに気付く。女の子はひどく損をしていると感じ、しばしば「自分もああいうのが欲しい」と言い、ついに陰茎羨望におちいるというもの。フロイトによると、この陰茎羨望は女の子の発達と性格形成とに消しがたい痕跡を残し、最も都合のいい場合でも、ひどい心的な労苦なくしては克服されないということ。

この陰茎羨望は、大人になっても無意識的なもの(=es)の中にずっと保持されていて、かなりのエネルギー充当を維持していると。例えば知的職業に携わる能力は、しばしばこの抑圧された願望が昇華して変化を遂げたものであることが、分析の作業によって判明する。羨望と嫉妬とが女性の心的生活では男性よりもいちだんと大きい役割を演じているという主張があるが、フロイトはこの「陰茎羨望」の影響が大とみている。

そうそう、エディプスコンプレックスについて書くのを忘れていた! これ書き始めると長くなるので、簡単に。男の子の場合は、要するに「父を抹殺して母親と結婚したい」という不道徳きわまりないが根源的な願望。これを克服できないまま大人になると様々の精神疾患を引き起こしうる。順調に克服して、いわば「父に譲歩する」ことができれば、男の子の内的な「良心」としての超自我が形成され始めるというわけ。

女の子のエディプスコンプレックスは、そう簡単ではない。これには上記の「陰茎羨望」が微妙に関連してくる。女の子はエディプスコンプレックスの中にかなり長いことそのままに踏みとどまり、ただ後になって、しかも不完全にそれを除去するに過ぎない、とフロイトは記述している。

最後はややまとまりなくなってしまいました。すいません。本書は講義録の形式なんだけど、なにぶん学問的内容なので、読了するのは本当に大変だった。しかし、現時点でダイゴという青少年を育てていることもあるし、絶対に読んで損することはないと思っていた。結局そういう強いモチベーションがあったから、根気よく最後まで行けたのかもしれない。Blogに記したのは本書のほんの断片だし、特に最終回はとりとめない内容で申し訳ありませんでした。とりあえず、一年かけて通読できた証としてBlogに書き留めておきたいと思います。