前回に引き続き「課長 島耕作」の感想を。今回は#2の「ずばり、人情」の観点から語ってみる。弘兼さんは基本的に「人情家」だと、まるちょうは思っている。しかし、人情といってもベタベタするようなのではなく、「現実を踏まえた人情」とでも言うんだろうか。あるいは「引き際のよい人情」というか。ひとことで総括すると、結局「都会的」という単語に収まるのかもしれない。
そんな観点から、ふたつシーンを拾ってみた。ひとつめは、第1巻の「ブルークリスマス」から。島の仕掛けで、結局会社をクビになった陽光印刷の矢部専務。島はこの場合、れっきとした勝者である。その島が、クリスマスの喧噪あふれる街で、矢部と幼い娘を偶然見かける。矢部は売れ残って安くなったケーキの一番小さいのを買った。
会社をクビになったからといって、早くも大きなケーキを買う金に困ったというわけではないだろうが、矢部はいちばん小さいのを買った。家や車のローンを抱え・・子供を学校に行かせる金も必要だし、しかも当面収入はないわけで・・そういったモロモロの不安がこの男の背中におおいかぶさってきて、いちばん小さいケーキを選んだのだ。・・急に家に帰りたくなくなった。今夜は飲み明かそう・・
島の、こうした「敗者へのいたわり」とでもいう心理が、とても共感できる。高笑いするのではなく、勝者である自分を「これでいいのか?」と問い直すわけ。「勝って素直に喜べない」という島の属性は、全巻通じて認められる。まぁ、現実には高笑いするほどの性根の方が出世するんだけどね。でも、そんなフクザツな島課長が、まるちょうは大好きです(笑)。
ふたつめは第4巻の「It’s Only A Paper Moon」より。癌を患い余命幾ばくもない宇佐美専務。島を病院に呼んで、ひとつ頼み事をする。20年前に芸者との間に作った子供に逢いたいと。15年も逢っていないその子は、男の子で京都の大学に通っている。死ぬ前にひと目だけでいいから逢いたいと。
病院を抜け出して、京都三条のうどん屋へ。そこでバイトしている息子は、宇佐美のことを誰だかわからない。宇佐美は遠くで見ているだけのつもりだったが、感極まってうどん屋でニシンそばを注文する。そこには何も会話はない。ただひたすらニシンそばをすする宇佐美。自身の終焉と何もしてやれなかった息子への複雑な想い。そんなこんなが絡み合い、そばをすすりながら泣く。店から出て、息子に「以前・・ずっと以前にどこかでお逢いしませんでしたか?」と問われても「いや、知らない」と、潔く背を向けて去る。
この女々しさのかけらもない潔さは、「自分には到底、この子に名を名乗るだけの資格がない」との自覚から来ている。「いや、知らない」という科白の重さは、とてつもないものがあると思う。例の「さよならだけが人生だ」というフレーズを思い出さずにはいられなかった。
弘兼さんは、こうした人と人の切ない繋がりや別れを描くのが上手だ。まるちょうが「人情家」と呼ぶ所以である。繰り返しになるけど「節度のある人情」なのだ。節度があって、初めて美しい物語となりうると思う。
次回は「島耕作のセックス」で語ってみたいと思います♪