愛のコリーダ/大島渚監督

「愛のコリーダ」(大島渚監督)を観た。1976年公開のちょい古い映画。昭和史に残る「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描いている。主演は藤竜也と松田英子。



実はもうずいぶん前にこの作品が気になっていて、DVDを入手していたのだが、実際に観たのは今年の春頃。夫婦で観たのだけど、妙に疲れたのを覚えている。というか全編「藤と松田が本番やりまくり」で、なにしろ有無を言わさぬという感じ。最後には、男根を切断するというとてもリアルなシーンが出てくる。「エロい」なんて軽々しい言葉で片付けれられるものではなく、もっと真剣で重々しい何かが心に残った。本作について、自分なりの感想など書き留めておきたい。

DVD特典の「監督による作品解説」を読むと、なるほど大島監督の「破壊的」ともいえる熱意が伝わってくる。「愛のコリーダ」のフランス語のタイトルは「L’Empire Des Sense(官能の帝国)」。つまり大島監督はエロスをどこまで突き詰めて表現できるかに挑戦したわけだ。そして「阿部定事件」というのは、その目的にピッタリのモチーフであった。

本作を観終わったあと、個人的に一番印象に残ったのは藤竜也の色気。男が男に色気を感じるというのも変な話だけど、とてもセクシーなオーラが出ているように感じた。Wikiで調べてみると、当時(30代)からジムで体を鍛え上げていたそうだ。役者としての美学なんだろう。

さて本題に戻って「阿部定事件」について。女が男を愛するがために、その男の男根を切り取るという行為。「こんなに愛している自分の男が、このペニスで他の女を抱くなんて許せない!」という、どこまでも自分に正直な行為である。「純粋」という表現を用いても悪くないだろう。おそらくこの行為は「男を心底愛したことのある」女性なら、だれでも一度は心の中で検討しているのではないか。ペニスを切り取るまで行かなくても、旦那が出勤する前にペニスを「シャキーン」と取り外して、神棚にお供えして二拍二礼。そして安堵のていで旦那を見送る・・みたいな(笑)。

阿部定はだから、ある意味女の抑圧された願望を見事に成し遂げた人なのだ。当時の国民にも、世界大戦直前の暗い世相を吹き飛ばす女神として、肯定的に迎えられたようだ。その一方で、ペニスを切り取られた相手の石田吉蔵のキャラだけど、これは大島監督の創作らしい。自身の作品解説で詳らかにされている。「お前の望むことなら、何でもしてやるぜ」という科白に象徴されるような、女の欲望を受け入れ、そのために自分の身を削ることのできる男。定に首を絞められる時も、特に抵抗せず笑って女の思うようにさせている。まぁ現実にはいるはずないけど、もし万一いるとしたら、女にとっては極限のセクシーだろうと思う。

エロスを極めて真面目に誠意を持って表現した作品と、まるちょうは評したい。大島監督って男気のある人なんだなぁ、と思わずにはいられない。細やかな映画もよいけど、こうした骨太の映画もいいもんだ。

以上、「愛のコリーダ」に関して語ってみました。