種まく子供たち/佐藤律子編

「種まく子供たち」(佐藤律子編)を再読した。時期的には、六月に体調が悪くて一週間の臨時休職をしたとき。あまり何をする気にもなれなかったのだが、何か有意義なことができないかと、本作の再読を思いついたわけ。

副題は「小児ガンを体験した七人の物語」とある。要するに、子供たちのガン闘病記です。亡くなった子供もいれば、生還して立派に成人に至った人もいる。しかし、この七人に共通するのは「ガンという難敵に立ち向かう峻烈な魂」です。前述の通り、最終的に臨終を迎える子供もいる。というか、その方が多い。でも、そんな絶望的な状況に置かれても、「生きる」という仄かな希望を忘れない。この七人の潔い魂を垣間みて、まるちょうは「自分の小ささ」を恥じたわけです。たった一週間の休職で落ち込んでいる俺って何?・・と。


七人の戦士の、心の奥底から湧き上がる言葉の一部を並べてみる。

17歳で脳幹部グリオーマと診断された西田英史くん。

残りの人生で、18年分を感謝したい。今までは俺が生き残るとか、俺がどうとか、自分の事ばかりだった。けれどまわりの人たちがいてはじめて、自分が生きていることに気づいた。俺は生きようと思う。

21歳で急性骨髄性白血病と診断された清水真帆さん。

眠れないときは、今日あったいいこと、十五くらい思い出す。そうすると、よく眠れるよ。(看病で寝不足の母へ)

15歳で骨膜肉腫と診断された佐藤拓也くん。

今はガンになった自分が好きです。だってガンは僕の家族を強く結びつけたし、内にこもる性格から、外へ出す性格へと、自分の性格もかわってきたからです。

13歳で急性骨髄性白血病と診断された加藤祐子さん。

青い空は無責任です。

最後の加藤さんの名誉のために記すと、これは両親に宛てた文章の中の抜粋であって、彼女が一番言いたかったのは、ご両親への感謝。でも、自分の深刻な病気に対する無念さは、大いににじんでいる。そういう流れで、ぽっと出てきた言葉だ。そう考えると、むしろ自分の辛い気持ちにあまりに率直で、むしろ潔さを感じてしまう。病室の窓から見える清々しい青い空も、結局自分の病気には無関係。そうした落胆を隠すことなく記した加藤さんは、偉い。

上記の四人は、残念ながら全て還らぬ人となった。しかし、ガンに打ち勝ち生を勝ち取った人も、その後の人生の中で、いろんな晩期障害を抱えて生きなければならない。戦いは終わらないのだ。

生後八ヶ月で神経芽細胞腫の治療を受け、その後脊椎側弯症や慢性腎不全などの晩期障害と戦う瀬尾日東美さん。

それまでとにかく病気を治したいと思っていたために、どうしても自分の中から病気を排除したいという願いにとらわれて、いつの間にか終わりのない迷路に迷いこんでいた(中略)。やっと「病気と共に生きる」というこたえを見つけ出すことができたのです。

最後に、瀬尾さんの言葉を借りて終わりたいと思う。

この世に生を受けた人間は、だれでも必ずいつかは死を迎えます。人間は、生まれた時からつぎつぎに与えられる宿題をはたさなければなりません。そのために、この世でじつにたくさんのことを学び、そして挫折しては立ち直る・・それをくり返すことで、ハードルを一つ一つこえていく。これが人間の人生なのではないかと思います。

病気を災厄とみるか、あるいは瀬尾さんの言う「ハードル」と捉えるか。それは、その人の生き方における「分水嶺」である。人はいつか死ぬ。しかし「健康な状態はずっと続く」と、愚かな錯覚をしている人がいかに多いか。手抜きして生きてはいけない。この本を読んで、つくづくそう思ったのでした。

以上「種まく子供たち」の感想を記しました。