あすなろ白書

「あすなろ白書」(柴門ふみ作)を再読した。言うまでもなく、柴門さんの数々の作品の中で堂々たる最高峰。今回再読した動機はずばり、主人公掛居保くんのキャラ分析。なぜ掛居くんに興味を持ったか。これまたずばり、自分とよく似ているから。もう少し厳密に言うと、共感できる部分が多い。それも「虚をつかれてハッとする」くらいに。古本屋さんで掘り出し物で見つけた全六巻・・もう生涯離さないだろう。それくらい愛しい漫画です。

掛居保のキャラを分析すると、二つの重要な局面が見えてくる。

#1・・善と悪との葛藤からくる強い動揺性

#2・・人との関わり合いにおける欠陥

まずは#1から攻めてみる。誰しもこの問題は抱えているだろう。しかし、掛居くんの場合はとても極端なのだ。

父親・・温厚、人望厚い優秀な財界人で文人でもある

母親・・天性の色香を持つが気分の波が激しい仲居

更に、

7歳以前・・北海道の草原での「教会の子」としての日々

7歳以後・・川崎の路地裏のアパートでの「薄汚れた」日々

つまり遺伝子的にも後天的にも善と悪の極端なせめぎ合いがある。掛居くんは、そういった重荷を運命的に背負わされた青年である。そして、健気にも「自分の意志の力で」、悪を克服しようとする。しかし、そのおかげで様々な歪みが生じる。本作は掛居くんが、ある意味不自然に歪んだ心を、まっすぐに戻そうとする過程を描いているのだ。掛居くんの「善」を象徴する言葉を二つ挙げておく。「心貧しき人こそ、愛しなさい」という(おそらく聖書からの)言葉。それと宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」。このふたつは、まるちょうにとっても心の根源に響く言葉である。

まるちょうも掛居くんほどでないにしても「自分の中の悪をしとめる」ことに、いろいろ苦労した経験がある。悪を克服することにより、人間は正しい方向に成長することができると思う。そこで大事なのは「自分の悪を誤魔化さない」ことだろう。まるちょうの悪とは・・「怠惰」でした。長年自分の中の怠惰を嫌悪して、ようやく30半ばにして大方克服することができた。そして、今はお蝶夫人♪から継続して「物事をキッチリすること」を学んでいる。その辺は、本作中の掛居くんに対する園田なるみとよく似ています(笑)。

次に#2について。掛居くんは、7歳の時に地獄を見て、心のある部分を封鎖してしまった。要するに、固い殻の中に閉じこもることによって、自分を守ったわけね。しかしそのことにより、その後の「人との関わり」において、重大な問題が出てくる。第二部で愛する京子の死を契機に、掛居くんはせっかくの大企業を辞めて、一人で自分を見つめ直す。そして出た結論は「大人」になること。そこからの彼の行動はめざましい。自分の殻をを破っていく瞬間だ。今は亡き友人松岡の子、空良との会話がとても印象的。ちょっと長い引用ですが・・

俺だって強くはないよ。今だって弱虫だ・・弱虫に生まれた人間は一生弱虫のままだ。弱虫も努力すれば強くなるなんてウソだ。それはただのまやかしだ(中略)弱虫は一生直らないけど、強いふりをすることはできる。いいか、空良。臆病な人間や心の感じ過ぎる人間は世の中の役に立たないから、「弱虫」と決めつけて社会は叩き出そうとする。だけど、強い者だけが生き残る社会は嘘だ。知性のある生き物のすることじゃない。(中略)いじめる奴らに「慣れて」強い人間の「ふり」をするんだ。弱虫が社会とつきあってゆくにはそれしか方法がない。(中略)大切なのは他人に敬意を払い、自分に誇りをもって生きることだ。

この掛居くんの発言はとても賛同できるんだな。まるちょう的に言うと「大人」になるということは、一種のハッタリである。おそらく誰しもが、そうしたウソの中で生きている。そうした「ハッタリ」は、生きる上での必要悪だろう。世間で「強い」というイメージの人が、実は醜悪な幼児性を持っていたりする。むしろ、そんな「ウソ」の上手な人ほど出世してしまう、それが現実の社会だったりする。そして、隠れた内面に醜悪な幼児性を残しているような人ほど、弱い者をいじめて喜ぶ。そして、心の感じすぎる善良な人は社会からはみ出てしまう。げんなりしちゃうけど、そういった構造が現実社会には厳然としてある。掛居くんは、それに対抗するために「慣れ」と「ふり」を主張するのだ。それこそが「大人」への道だと。

「慣れ」は自分へのウソ。「ふり」は他人へのウソ。そういった虚偽を、自分の中で許す精神構造こそが「大人」である。そういう行為は、普通の人ならば無意識にできることだが、掛居くんのようなピュアな人にとっては相当に意識しないとできない難行なのだ。その難行に真っ向から挑む掛居くんが、とても好きです。まるちょうにとっても「人との関わり」というのは、とても難しいテーマです。相変わらず「組織」は苦手だし。お蝶夫人♪の叱咤激励を受けて、少しずつ勉強したいと思っています(苦笑)。

最後に、柴門さんにひとこと。最近の柴門さんの作品は「骨」が感じられない。「あすなろ」の頃の、ある種の「凄み」が欲しい。ぞくぞくっとするような。安逸なドラマのシナリオ的な作品でなく・・ いち柴門ファンからの要望です。おそらく届くことはないだろうけど・・(苦笑)