「アドルフに告ぐ」(手塚治虫作)を久しぶりに読んだので、感想を記しておきたい。個人的にかなり思い入れが強いので、三回くらいに分けて。
ニーチェが国家についてこんなことを語っている。
善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。すべての人間の緩慢なる自殺・・それが『生きがい』と呼ばれるところ、それが国家である。
手塚さんが描いたこの歴史的な漫画を読むと、このニーチェの言葉が臓腑に染み渡る気がした。正義という大義名分の下に、国家という「巨人」が狂って極めて兇悪で無慈悲な怪物となる。その結果、あらゆる人間の命や大切な絆をめちゃめちゃに切り裂いていく。本作は、そのむごたらしい過程を克明に描いているのだ。
本作で描かれる「大切な絆」として、まるちょうは下のみっつを挙げる。
#1 峠草平と由季江ーー夫婦
#2 由季江とアドルフ・カウフマンーー親子
#3 アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルーー親友
まずは#1です。本作の狂言回したる峠草平という人物が、まるちょうにとっては他人と思えなくてね~! ほんとに愛すべき男です。ちうか、どうせ人生生きるなら、こんな男になりたい。心が広くて、自分に正直で、陽気なマラソン・マン。物事の本質を見抜く鋭い知性もちゃんとある。しかし極めて鈍感なところが玉に瑕。読んでいくうちに、どれだけ彼の幸福を願ったことか。たくさんの紆余曲折があり、ようやく由季江と結ばれる場面では、本気で目頭が熱くなった。ドイツ料理店「ズッペ」で客待ちをしている時に、二人でチークを踊る。「あぁ・・この香り。おれはこの香りを三年も待っていた・・」草平が、由季江に「運命の糸」を感じる場面。もう、ほんま胸キュンやん!(>_<) 本作で一番幸福な気分になれた瞬間だった。
しかし、である。米軍の焼夷弾投下により、由季江はあっけなく死んでしまうのだ。いや、あっけなくではないか。頭蓋底骨折により、植物状態へ。そして、身ごもっていた子供を出産した後、息を引き取る・・いや、やっぱりあっけないぞ。あんなに確かに愛し合った二人なのに・・ 由季江が死んだときの無念さ、喪失感といったら! この場面は、思いっきり感情移入したなぁ。もう号泣しちゃったよ。
でも手塚さんは、愛すべき草平にちゃんと救いを用意していた。由季江が死ぬ間際に出産した女の子「由」と、若狭追ヶ浜の飲み屋の女将との再会。ささやかな再生の予感を記して戦時の描写は締めくくられている。
考えてみると、草平という人物は、一番「国家」という得体の知れないものに対して批判的な心を持っていたように思う。それに対して、三人のアドルフは国家が振りかざす「正義」という魔物に取り憑かれていった。草平は、だから、いわば一番ニュートラルな存在だったと言える。冒頭のニーチェの言葉で言うと「一番毒を飲んでいない」人だったかもしれない。もちろん、最愛の人を失うという痛手は負うわけだけど・・ それでもたくましく生きていく。重ねて言うが、まるちょうは草平のように生きたい。
次回は#2について、語ってみたいと思います。