Only is not Lonely

お題を決めて語るコーナー! 今回のお題は「Only is not Lonely」。

6/2に続いて、ほぼ日手帳の心に響く言葉から。

Only is not Lonely.

みんなが本人として、生きる。

みんながほんとうは他人を理解しえないと知る。

だからこそ、親切は生まれる。

<ダーリンコラムより>



糸井重里さん、いいこと言うなぁ。噛めば噛むほど味が出る言葉である。いわゆる「成熟した社会」って、このように成り立つのがベストなんじゃないかな? これはまさに「人口に膾炙すべき」言葉だと思う。

例えば「はみ出し者」がいたとする。自分の個性を主張し過ぎて、周りから浮いてしまう人。そうした存在を、いわゆる「社会」は、疎ましく扱う。歯車として働かないなら、価値がないと考えるから。でも、それだけで終わっては、本当に成熟した「社会」は構築できないわけです。歯車として生きるだけなら、機械で十分。人間として生きるならば、個性を主張できないなんて、あまりにも悲しい。「本人として生きる」とは、各人が自分の個性を常に探りながら尊重して生きること。それが行きすぎると「はみ出し者」になっちゃうんだけど。その辺は、やっぱりバランスなんだろうな。

そのように、各人が個性を発揮して生きるようになると、結局「他人のことは解らない」という境地に辿りつく。まるちょうが思うに、人間関係って、ここから出発すべきじゃないかと。各人は、究極的には違うのだ。全く同一の存在なんてあり得ない。それが親子だろうが夫婦だろうが親友だろうが。それを知るとき、人間はとても寂しい気持ちになる。本当に辛い。でも、そうしてちゃんと真実を見据えたとき、本当の意味での「思い遣り」が生じるわけだ。自己とは異なる相手を、違う個性として認めるという作業。本当の親切心とは、異種に対する思い遣りだと思う。

例えば、外来診療をしていると、個性的な人っています。そういう人は、もっぱらしゃべり役。関係のないことも含めて延々としゃべる。こちらは、もっぱら聞き役です。まぁ、時間が限られているので、限度があるけどね。でも、可能な限り聞いてあげる。そうすると、その人のアウトラインとも言うべきものが浮かんでくる。これ、違う個性の認知ですね。そうして運がよければ、診療の最後あたりには、その人への一番の親切とは何かが見えてくる・・こともある。もちろん、徒労に終わることも多いけどね。でもまぁ、そうした努力は惜しむべきではないと、常日頃考えています。

結局「Only is not Lonely」とは、祈りなのかもしれない。現実的には「Lonely」な場合が多いわけですから。でも、それで終わってしまっては、あまりにも味気ない。寂しくなったときこそ、相手を思い遣る気持ちを忘れずに。糸井さんは、そんな風に言いたかったんじゃないかな?

ほぼ日手帳から、印象に残った言葉を紹介しました♪