ノルウェイの森/村上春樹 再考

体調不良にて、更新が滞りがちです。でも、なんとか回復傾向にあります。徐々に週二回ペースへ復帰したいと思っています。

「ノルウェイの森」(村上春樹著)に関して、昨年の4月10日に日記を書いているのだが、ちょっと追記してみたい。大好きなレイコさんについて。

「ねぇ、ワタナベくん、私とあれやろうよ」

「不思議ですね。僕も同じこと考えてたんです」
このストーリーの最後の場面。ワタナベくんとレイコさんが、すき焼きを堪能してから、ギターで51曲の音楽を奏でて直子へのレクイエムとした後、至極当然のように性交する。上記のやりとりは、その時に交わされるもの。


長い間、この性交が何を意味するのか、頭の中で引っかかっていた。最近、道を歩いていてふと気づいたんだけど、あれって、レイコさんの思い遣りだったんだね。

直子は、もうこの世にはいない。しかしワタナベくんは、これからも生きていかなければならない。いつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。生きるとは、それこそドロドロしたものだ。それなりの決意や勇気が必要である。直子の「呪縛」を解き放って、あるいは直子を助けてやれなかった自分を許して、しっかりと生きて欲しいという、レイコさんの願いだったと思う。

その性交の描写も素敵だと思う。こんな温かな性交ができたなら、本望だなぁ。それにしても「ノルウェイの森」における性愛の描写って、とても写実的で好きです。ペニスに笑いの震動が伝わるって、すごい描写だと思うんだけど。

もちろんレイコさんは、ワタナベくんのことを好きだったと思うけど、結局自分はほとんど何も奪わないのである。自分の肉体でもって好きな男の自己変革を手伝った後、一人旭川へ旅立つのだ。愛って、奪ってなんぼだと思うんだけど、この人の場合はすごく高次元の愛だね。まるで女神だ。だからこそ、上野駅での涙というのは、とても切なくて泣ける。美しい。

我々は生きていたし、生きつづけることだけを

考えなくてはならなかったのだ
ここに、ひとまわり大きくなったワタナベくんの姿をみる。無理かもしれないけど、私はレイコさんのような大人を目指したい。うまく言えないけど、初めて読んだときから、そのように感じています。以上、「ノルウェイの森」に関して記しました。