私は1999年から、生粋のMacユーザーです。スティーブ・ジョブズという人物に関しては、すごく尊敬している反面、知らないことが多すぎると感じていた。例えば、有名なスタンフォード大学でのスピーチ。あの完成度、説得力は、すごいと思う。あるいは、新製品を発表するときの彼のスキルたるや、まさに神レベルと言わざるを得ない。なんというか、一種の魔法なんだな。あのワクワク、ドキドキ感・・脳内麻薬出まくり。つまり、彼のいい面しか知らないんです。スティーブ・ジョブズという「謎な」人間の包括的な理解って、やっぱ必要じゃないかと。伝記というスタイルの書物も、あまり読まない方なので、ちょっと挑戦という感じです。
ところで、この伝記を書き上げた、ウォルター・アイザックソンという人の取材力は、凄まじいと思う。スティーブが「自分の伝記を書いてほしい」と、何度もしつこく頼んだだけのことはある。上記のスティーブの「美点」と、その対極にある「宿命的な問題点」も、しっかり記してある。とりあえず、上巻を読み終えたので、メモ程度に感想を記しておきたい。次のふたつの軸で書きます。
#1 捨てられて、選ばれる
#2 現実歪曲フィールド
今回は、まず#1から。スティーブは若い頃いつも、心のどこかで「自分の血」について、考えてきた。時はのぼり1955年。子宝に恵まれないポール・ジョブズとクララ・ジョブズ夫妻のもとに、スティーブは養子として迎えられた。このご夫妻は、ごく控えめな庶民だけど、ちゃんとした人たちだ。スティーブの才能をしかと見いだして、ていねいに育んでやる。特に機械工だった養父のことを、スティーブはずっと尊敬していた。例えば「隠れたところこそ、しっかり手を入れろ」というような教えは、Apple創業から、ずっと守られている。ポールとクララを「養」親だと言われたり、「本当の」両親ではないと言われたりすると、スティーブは激怒する。「ふたりは、1000パーセント、僕の両親だ」と。
スティーブは否定するそうだが、面白い説がある。
「スティーブの不可解な点は、ときどき自分を抑えられず、一部の人に対して反射的にひどいことをしてしまうところです。その原因は、生まれたときに捨てられたからだと思います。根本的な問題は、スティーブの人生において『放棄』が大きな意味を持っていることなのです」(アンディ・ハーツフェルド)
スティーブ自身が否定するので、どこまで本当かは分からないが、捨てられたこと(特に父親)は、その後の人格形成に大きく影響したことは確かだろう。例えば、すべてをコントロールしたがること。環境をコントロールしたいと考えるし、製品は自分の延長であり、完璧でないと気が済まない。
養父母へのリスペクトとは別に、やはりどうしても「自分の血」について知りたいという渇望はあるわけ。スティーブが30歳すぎのとき、養母のクララが肺がんで亡くなる。そこで意を決して、養父のポールに「生みの親の探索」について話したところ、心配ないから連絡してごらんと、背中を押される。生みの母、ジョアン・シンプソンとの再会の場面は、ちょっと胸がいっぱいになるね。実母は、ずっと養子縁組に出したことを悔いていたそうだ。スティーブに繰り返し繰り返し、謝る。スティーブは、大丈夫だよ、すべていい形になったんだからと安心させる。そして、ずっと知らなかった実の妹、モナ・シンプソンとの再会。彼女はマンハッタンで小説家として身を立てようとしていた。ふたりとも芸術に強い興味があり、鋭い観察眼を持ち、強い感受性と意志も共通していた。「妹は作家だったよ!」と、スティーブは大喜びということになる。ただ、実父にはどうしても会おうとしなかった。
ひとつ印象的なくだりがある。モナは5歳頃にいなくなった父親を捜していた。スティーブとモナの実父ジャンダーリ(シリア人)は、サクメントの小さなレストランで働いていた。モナと再会するが、父はそれほど「会えて嬉しい」という感じでもない。そして、実はモナの前に男の子がいたとつぶやく。その「男の子=スティーブ」は「自分を捨てた父親」には、関係を持ちたくないという立場なんだな。箝口令が出ていたので、モナは一瞬ハッとするが、何も言わない。ジャンダーリは、以前に経営していたレストランの話を始める。サンノゼの北の方にある地中海料理のレストラン。
「あれはいい店だった。テクノロジーの世界で成功した人がたくさん来ていたよ。あのスティーブ・ジョブズだって来たよ」モナの驚いた顔を見て、父親は「本当だよ。よく来ていたよ。いい人でね、チップもはずんでくれたよ」と付け加える。モナはスティーブ・ジョブズはあなたの息子よ!と叫びそうになったが、あやういところで声を飲み込んだ。
はっきり言って、この出自についてのエピソードは、本書のほんの一部です。東洋思想への傾倒やLSDに関する描写、それに何より、Apple創業から皮肉な追放劇まで。学生時代は、たいてい裸足。風呂にはほとんど入らず、いつもすごい臭いだったとか。23歳でガールフレンドを妊娠させ、生まれてきた女の子「リサ」を捨てた。これは実父ジャンダーリがスティーブを捨てた年齢と同じだ。そんな「悟りを得た、無慈悲な人間(笑)」スティーブ・ジョブズ。次回は、彼の武器とする人間操縦術「現実歪曲フィールド」について、触れてみたい。