将棋棋士の名言100より

今回は趣向を変えて「将棋棋士の名言100」から、お気に入りの言葉をネタに、ちょっと文章書いてみたいと思います。「棋士の言葉」って専門的そうだけど、わりと一般人にも適用できるものが多いです。では、行ってみよう~

危険を察知する方が、本当のワイルド

(羽生 善治)


棋士にとって、最も怖いのは「意外な一着」ではないだろうか。読みに全くなかった手を指されて困るときは、もう相当にダメージを受けている。あるいは「軽視」していた手が、予想以上に厳しかったときなど。または、状況を楽観視しすぎていたとか。

楽観主義というのは、生きる上で大切なことだと思う。自分の素直な心を世界に反映していくためには、必要な態度だろう。特に若い頃は「世界を拡げる」必要がある。自分の信じている価値観がいかに狭いか、という気づきがあるかないか。いわゆる「無知の知」ですね。若い頃にこれやってないと、中高年以降に大変だろう。つまり、若い頃は「怖いもの知らず」で突き進んでいいと思う。少しくらいの怪我は、十分に回復できる。それこそが「若さ」の特権だから。「血」をみて「痛み」を感じて、自分の限界を知ればよい。


でも楽観主義だけでは、人生渡ってゆけない。世界には危険がゴロゴロと転がっているからね。野生動物はみな、危険が迫ってくると敏感に察知して逃げる。これはずばり、命を守るための本能である。「怖いもの知らず」は格好よさそうに見えるけど、最後に勝利するのは「臆病者」なんだね。つまり羽生さんは「怖い」と感じ取れることが「ワイルド」だとおっしゃる。

これ逆説的なんだけど、高みにいる人はそうなんじゃないかな? 人生の高みで生きる人・・そうした人たちは「大切なもの」をたくさん抱えて生きている。だから失敗が許されない。仕事でも家庭でも、健康でも・・ いったんその「高み」から落ちてしまうと、また這い上がるのは難しい。たいてい人生の後半に差しかかっているから。若い頃なら許された過ちが、いい大人になると、許されない。クレージーではいられない年齢って、あるわけです。

だからこそ、常にリスクを評価すること。乗り越えられそうになければ、きっぱり回避すること。あるいは諦めること。「断念」こそが、最大の知恵なんだと思います。健康でいえば、禁煙なんか最たるものですよね。「どうせいつかは死ぬんじゃ」という主張は、正しいけど敗北です。人間は生きるために、最後まで「生き残るベクトル」を捨ててはいけないと思います。



勝負は、その前についている

(升田 幸三)


升田幸三という人は、研究の虫だったと伝えられる。戦型において、独自性を極限まで追求する姿は、現在でも棋士のひとつの理想として敬愛されている。天才肌と称されるが、盤外では血のにじむような努力を重ねたといわれる。

この言葉は、仕事をする上でとても重要なことを含んでいる。つまり「いい仕事をできるかどうか」は、現場に行くまでに、ほとんど決定しているということ。大きく分けてふたつ。体調管理と普段の勉強。前者は「自分の実力をいつも通りに発揮できるように、いかにしてもっていくか」。後者は「少しでも前よりもいい仕事をするために、イノベーションを続ける」ということ。

あともうひとつ。「現場がとても継続して働ける環境でない」と感じても、ただ我慢しているだけでは、体制は変わらない。イエスマンは、滅びる運命にあるのだ。現場で体を張る人間は、敢然と体制側に向かって「これでは働けない」とプロテストしなければならない。これはもはや「雇用者の権利」ではなく、「組織における要請」だと思う。こうしたフィードバックで、貴重な労働資源は守られるから。イエスマンは、自己を滅ぼすうえに、組織もダメにする。

現場についてから、どれだけその場で歯を食いしばっても、できることは限られている。たとえそこでなんとか結果を出したとしても「現場だけで終わり」という仕事ならば、それはさざ波のように消えてしまう。積み重ねていくためには、どうしても「盤外」での分析や勉強が必要だ。もちろん、遊びたい。本能のおもむくまま、羽目を外したい。でも・・人生を勝負と捉えるなら、仕事で負けたらきついんですよ。だから、現場(盤の前)に行くまでに、後悔のないように準備を整える。これが本当のプロフェッショナル(勝負師)だと思います。将棋界では「研究が仕事、対局は集金」という言葉があるそうです。「集金ばかりのろくでなし」にならないよう、頑張りましょう(笑)。

以上「将棋棋士の名言」をネタに、ちょっと文章書いてみました。