ホントは書くつもりじゃなかったけど、ちょっと書かせて下さい。Blog休止の途中経過としても、意味のある報告になると思う。題して「仕事に穴をあけてしまった」。
さる16日の土曜日は、午前中に一般外来の仕事あり。まるちょうは体調不良で休んでしまいました。一番恐れていたことだ。1月27日から減薬開始して、勤務先にはなんとしても影響のないようにしたい・・そう思って「自分では慎重に」生活していたつもりだった。ただ三月に入ってから、軽躁状態がつづき「動きすぎ→不眠→頭痛→ロルフェナミン投入」というパターンが続いていた。しかし軽躁状態の中では、仕事自体はわりと順調に運ぶものだ。むしろ順調すぎるくらいに。そこに落とし穴があったかもしれない。
まず、15日の金曜日。午前の外来は14時45分まで、その後の心電図は560枚なり。客観的にみれば、それなりの仕事量だ。しかし上記のとおり、わりと順調に仕事を終えた。それほど疲れたという意識はなかった。20時から2時間ほど寝る。23時頃に頭痛にてロルフェナミン2錠頓服。その後、うだうだしながら眠れない。今思うと、ここで強制的に寝床へ入るべきだった。結局予定より1時間ほど遅れて就寝。この時点では「まぁ、いつものことだから、なんとかなるわい」と、たかをくくっていた。睡眠自体は普通だったと思う。
そして運命の16日。六時半起床の予定だが、六時頃からすでに頭の右半分が「錐でグリグリ穴をあけられているように」痛い。六時半まえに、ボルタレン坐薬を入れる。嘔気もひどくなってきた。エリーテン投入。「やばいな~」という感じで、なんとか七時に食卓に就く。しかし、まったく入らない。ちょっと口に入れても、うっとなってしまう。しょうないので、備え置きのゼリー食品を食べる。とりあえず、なんとかひとつ胃に押し込んだ。そして歯を磨こうとしたら、強い嘔気がやってきて、思わずトイレへ。そして三回嘔吐。今しがたの食べたものを全部リバース。
こうなってやっと「これはダメだ」という認識に至る。頭は相変わらず右半分がガンガン、気分不良、嘔気・・典型的な片頭痛の症状だが、あまりにもひどい。正直、静かな暗いところでじっとしていたかった。これから出勤なんて、とんでもない。7:50すぎの電車に乗れれば、間に合わなくもないが・・ 寝室でうずくまりながら、ギリギリの計算をしていた。頭痛や嘔気がおさまるか・・? でも、やはりおさまらない。出勤の支度をする余力が残っていない。もう、目の前の現実を受け容れるフェイズに入っていた。診療所の事務長さんに電話連絡入れる、それしかない。無念だけど、仕方ない。・・そうして、8時に現状報告と、休診のお願いの電話を入れた。それが終わると、暗い静かな寝室で、こんこんと寝た。大いなる敗北感にまみれながら。
社会人にとって「仕事に穴をあける」という行為は、本当に辛い。まさに「敗北感」という言葉がぴったりだ。それは「自分を測る物差しが間違っていた」という実感である。「自分という存在」を精確に把握することは難しい。でも、最低限の管理は「社会人」にとって必須。「仕事に穴をあける」という行為は、まさにその「最低限のレベル」さえも逸脱したという結果。いったい俺は誰に負けたのか?・・それは自分に。だからこそ、情けなく、ふがいない。
16日の診療所は、バタバタだっただろう。19日に出勤の予定なので、各方面に謝りにまわりたい。それにしても・・ 16日は午前中ずっと寝ていた。昼過ぎに起きたのだが、なんだかんだ言っても、やはり片頭痛。ボルタレン坐薬が効いて、少し頭痛が残るのみ。昼御飯はパクパク食べて、散髪へ。全然動いてないので、散歩→歩いて25分くらいのところにあるショッピングモールへ。本屋と喫茶店に立ち寄り、Twitterでつぶやきまくる。・・こうした一連の行動は、今から思うと「軽躁状態による過活動」なのです。双極2型という病気は、常にこうした自己評価が必要になる。この文章を書いている17日深夜の状態は・・これまた軽躁です。17日の午前中は、他院で健診業務。その後、母と会食の予定があって、それはなんとか済ませた。帰宅後、二時間寝る。そして夕食後に三時間半寝る。このへんは過眠→軽いうつ病相である。そうして、現在(軽躁)に至る。
つまり何を言いたいかというと、今週いっぱいくらいは、躁うつの波がついてまわる、ということ。要注意ですが・・ ありがたいことに、20日(水)が祝日で、22日(金)も心電図読影なし。なんとか気を引き締めて、乗り越えたいです。おそらく四月中旬には、安定してくるはずなんだけど・・ 今回のことを深く反省しつつ、でも気分を切り替えて、GWまで仕事を堅実にこなしていきたいです。以上「仕事に穴をあけてしまった」と題して文章書いてみました。
私も仕事に穴をあけたことがあります。
勤務時代には幸いなことに一度もなかったのですが、
一つは学生時代に某百万遍のどこかの系列病院でした。
眼底検査のバイトをしていたのですが、実質すべて任されていました。
私は留年して学校へも行かず、たらら(仮名)クンの下宿で酒を飲んでいて、
「今日○曜日やったなぁ、明日バイトやわ」というと
たららクンが「おい!今日○曜日やぞ!」と・・・(–;;
無断欠勤・・・。
実際にドクターがやろうとしたのですがやり方もわからず
(それはそれで問題ありかと思ったのですが)
患者さんには帰ってもらったと・・・。
「社会人として問題外」とののしられましたが、
今から考えると、フォローできないドクターはどうなんだろうと・・・。
眼科の常勤がいない病院で眼底検査をして学生に診断をさせるというのはどうなんだろうと・・・。
25年程前のことだから時効なんでしょうけどね。
その後、自分でやりだしてから急病で2回休みました。(^^;
ラーメン屋でもクリニックでも「臨時休業はいけない!」と言ってる自分で、
やらかしてしまうんですよね~。
お互い、気を付けないとね。
>カバ先生
返事が遅くなり、すみません。
状態が悪く、大変な六月です。
学生時代、そんなことあったんですね。
しかし、眼科の常勤医師がいないのに、眼底検査って、、
でもとにかく、仕事に穴をあけるのは、後味わるいです。
自分を把握、管理すればいいのですが、これが難しい。
ちゃんとしたメールで、またお伝えしますが、
五月からの流れで、慢性的な過労になっています。
なので、六月はルーチンを崩さないようにしようと思います。
⇒土曜日、昼メシ食うの、七月にせえへん?
勝手申してすみません。また正式にメールします。
やってしまいました。
わたしも看護学校の講義に穴をあけてしまいました。
急変の患者様の救急搬送に同乗し、搬送先で詳しく経過や既往など対応されたDrに説明し、やれやれと思った瞬間、講義の時間を過ぎており、ふと携帯をみると山のような着信履歴!
すぐに電話を入れるものの、代行の講師にお願いしたとのこと・・
今の時期、過労気味です・・
やってしまいました・・・ほんとに後味悪いし、穴があったら入りたいとはこのことです
> おかぴょんdrさま
はじめまして。
先生の「やってもうた」は、疲労と救急搬送という
ちゃんとした原因があります。
僕のは単なる不注意であり、社会人として許されるものではありません。
片頭痛という自分の持病を計算に入れていないという失策です。
おたがい、社会人として恥ずかしくない行動をしたいものですね☺️