懺悔

昨日、勤務先の診療所で失敗をした。今はその罪悪感から、うつのサイクルに入っています。この件については、もうどうしようもないし、どれだけ嘆いてみても仕方ないんだけど、文章化して自分の中にあるものを吐き出してみたら、ちょっと楽になるかな?と思い、書いてみます。

土曜日の外来。時間はすでに13時を過ぎていただろうか。最後から二番目の患者さん。主訴は左足のむくみ。それについてはすでに関連病院で、検査の予定が組まれていた。本日は、痛み止めがなくなったので欲しい、という希望にて来所。


診察室に入ってくるのが、まず一仕事。もともと股関節だろうか?歩行障害がある上に、左足の疼痛があるので、相当に歩きにくそう。若干理解力の低い印象のある患者さんだった。診察室でひとしきり病状を話され、涙を流された。私はしっかりと傾聴した。昨日の検査はちゃんと受けられなかったようなので、月曜日の検査はしっかり受けましょうと指導した。そして痛み止めと胃薬を処方。そこまではよかった。患者さんが診察室から出て、待ち合いに戻ってから、カルテを書き終わり保存しようとしたとき。電子カルテから「痛み止めと胃薬が他の医師から処方されています」というアラートが出てきたのだ。そこで大いに悩んだ。もう一度、診察室に入ってもらうか・・ しかしまた痛い足をひきずって診察室まで来てもらうのも忍びない。私が待ち合いに行こうか・・ でも、その時は体が重くて、なんとなくそれができなかった。あと一人、患者さんが待っているし・・ 

そのとき私を支配していた感情は「面倒くさい」である。もちろん、疲労はあっただろう。しかし、これは医療者としては許されない思考である。しかし、その時の私は考えるのが嫌だった。そうして、電子カルテのアラートを無視して保存→処方を確定してしまった。あとは、最後の患者さんをそつなく診て、終了。さっさと帰ってしまった。

帰りに近くのうどん屋さんで昼食中に、携帯に電話が入った。診療所からだ。考えてみれば当たり前なんだけど、上記の二重処方は薬局でチェックが入る。私は内心動揺していた。ここで私を支配していた思考は「あの処方箋は廃棄すべきだ」ということ。二重処方なのだから、間違った処方箋は存在してはいけない。電話してきた看護師が「頓服で処方されたらどうですか?」と提案してきたが、私の疲れた頭脳はそれどころではない。もう「処方箋を廃棄」しか頭になかった。そのように指示して電話を切った。しばらしくて、どろんと鈍い頭脳に「失敗した」というサインが発生した。つまり、患者さんは「何でもいいから、少しでもいいから、痛み止めの追加が欲しかった」のだ。だから、看護師の提案に乗るのが一番妥当だったのだ。それに気づいてから、自責の時間が訪れた。しかし、もうすでに一度決断したことなので、覆すわけにはいかない。昼食は砂をかむようだった。

それから帰宅するまで、痛み止めを処方すると言われて、結局処方されなかった患者さんがパニックに陥っている姿ばかりが頭に浮かび、その度に苦い思いをした。なんて俺は馬鹿なんだろう。弱者切り捨てやんか。医療者として失格。その患者さんの泣き顔が思い浮かぶ。そうして、私はうつのサイクルへ。それからひたすら寝る。

15時半から合計8時間寝て、今夜中の2時過ぎ。歯磨きして、軽くヨーガをして、「大江光の音楽」を聴いて、ちょっと意欲も出てきた。そうして、今回の愚かな出来事の文章化を思いつく。今となってできることと言えば、その患者さんの経過を電子カルテでフォローアップしておくぐらいだろうか。もちろん、私の外来にもう一度受診されれば、平謝りするつもりです。あの時、面倒くさがらずに待ち合いに行けば、一番よかったのだ。「怠慢」これに尽きる。それにしても・・俺はなんてことしたんだろう。俺は偽善者です。