村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ(2)

前回に引き続き、2月の村上春樹のエルサレム賞受賞のスピーチについて語る。今回は実際のスピーチ内容について、まるちょうなりに入り込んで行きたい。日本語全訳はこちら。そして、エルサレム賞(Jerusalem Prize)の正式名称を記しておく→「社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞」 このスピーチのキモは、以下の文である。

私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。

壁と卵の関係。メディアはこうした場合、ステレオタイプに走りがちである。報道というのは、解り易いのが一番という誤った哲学があるからだ。壁→侵攻するイスラエル軍、卵→虐殺されたガザのパレスチナ人。つまり、イスラエル批判としてのスピーチという捉え方。しかし、こう決めつけるのは、とても味気ないことだと思う。村上さんは、もっと普遍的なことを述べている。イスラエル批判はもちろん含まれるけれど、あくまでも「言いたいことの一部」に過ぎないと思う。このスピーチが収斂して行くのは、あくまでも前述の「エルサレム賞の志向する理想」なのである。簡単に言うと「システムにおける個人の自由」ね。


村上さんが述べた「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」という言葉。作家で国会議員のT氏などは「誰もあの席上で『壁側に立つ』なんて言う奴いないですよ!」なんて宣っているが、村上さんの著作をしっかり読んで、村上さんの「コア」を体感している人なら、上記の言葉は、真実だと解る筈だ。T氏のことは多く語るまい。あんな人が国会議員やってること自体、空恐ろしくなってしまう。ああいう人はきっと「力への意志」とか、都合のいい思想を持ち出してきて、自分を正当化するんだろうな。ああこわ。

壁と卵の関係はシステムと個人の関係である。そして、システムは、もともと個人が協力することにより出来上がった。元来、システムは個人を護るためにあったが、ある時からシステムが変質して、卵を取り囲み、その壊れやすい殻に穴をあけて殺し始める。この論理は多くの社会問題に当てはまると思う。今思いつくのだけ挙げても、過重労働からの自殺とか、学校でのいじめ問題なんかがある。一番重要な点は「私たちがシステムを作った」ということ。壁と卵は、単純な二元論で語ることはできないのです。

例えば、今回のガザ侵攻にしても、多くのパレスチナ人が殺された一方で、イスラエル人も確実に死んでいる。ユダヤ×パレスチナという積年の怨念、そこに立脚した強大なシステムが、多くの「卵」を敵味方なく壊したのだ。戦争なんて、いつだってそうだ。イラク戦争だって、強固な大義名分の下に多くの市民や兵士が死んで行った。死ぬのはいつも個人なんだよね。間違っても、ホワイトハウスのお偉方(つまりシステム側の人)は死なない。村上さん風に言うと「やれやれ」である。

村上さんは、昨年90歳で亡くなった父親の想い出を引用している。大学院生の頃、徴兵されて中国の戦場に送られた父。物心ついた村上さんが想い出すのは、父の毎朝の読経。敵であろうが味方であろうが区別なく「すべて」の戦死者のために祈っている父を見て、村上さんは父親の周りに「死の影」を感じる。スピーチのこの部分を読んで、まるちょうは例の「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という有名なフレーズを思い出さずにはいられなかった。強大なシステムの殺戮に対して個人ができるのは、結局「祈り」だけなんだろうか。最後に村上さん曰く

If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.

この部分だけは、まるちょう独自の訳でどうぞ。

もし我々が仮に勝利する希望があるとすれば、我々が自分自身と他者の魂の独自性やかけがえのなさを断固として信じること、さらに我々の魂がひとつになることにより勝ち取ることのできる「心の温かさ」を信じることが一番大事でしょう。

社会の中の個人の自由。この理想を達成するために、上記のコメントはとても重要だと思う。実際のスピーチから1ヶ月以上経過した今では、このBlogもあまり意味をなさないかもしれないけど、一応アップしておきます。個人的には、卵が壁を乗り越えること(を信じること)に人生の意義はあると思う。それが途方もない難行であることは、もちろんなんだけど・・

以上長くなりましたが、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて語ってみました。