大野病院事件について(2)

前回に引き続き、 福島県立大野病院産科医逮捕事件について。今回は#2の「客観論と感情論」というお題で語ってみたい。

加藤医師は勝訴し、一審無罪→福島地検は29日、控訴を断念すると発表し、加藤医師の無罪が確定した。裁判というのは不思議なもので、いったん白黒がついてしまうと、ほぼ永久的に「白と黒の区別」が出来上がってしまう。真実がいかにグレーであったとしても。一種のステレオタイプと言っちゃうと、言い過ぎなんだろうか。もちろん医師としてのまるちょうは、今回の裁判で医師が敗訴→有罪確定なんてことになると、大いに困る。いったん判例が出来ちゃうと、その後も同様の裁判で医師が負ける可能性が高まるから。だから「医師として」は、無罪確定は歓迎です。


加藤医師勝訴の判決要旨を抜粋すると、以下のような感じ。

胎盤の剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出するということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。

少しいちゃもん付けるとすれば、剥離開始を輸血できる体制になるまで待つことができなかったか。そしてそれ以前に、医療マンパワーの少ない大野病院でなく、もっと高次の産科医療を提供できる病院へ移すことは考えなかったのか。そうした医師側の細かい不備は客観的にみてあると思う。その辺が「グレー」と表現する所以である。ただ、大筋の治療内容には全く不備はない。何度も言うが、医師は神様ではないのだ。細かいミスで手錠をかけられて世間のさらし者になるのは、あまりも厳しすぎる。以上のように「客観論では」問題ないと結論づけられた。

さて、まるちょうが本当に言いたいのはここからです。この「産科医逮捕」について、医療界から激しい抗議、怒り、加藤医師への共感と支援が表明された。それはもちろん理解できる。当たり前のことだ。しかし・・もし医師であるあなたが、今回のような医療の末に一番大事な肉親を奪われたら、冷静でいられるだろうか? 理路整然と判断できるだろうか? 担当医への憎しみ、怒りを抑えられるだろうか? 今回の事件で、加藤医師を支持する医師による「感情論よりも客観論」というようなコメントをいくつも目にした。確かにそれは正論です。一分の隙もない。しかし、このコメントって「自分が医療により最愛の肉親を奪われる立場」になることを想定していないんじゃないか? 患者の立場で不測の事態に遭遇するとき「感情論よりも客観論」という冷静な思考が果たして可能なのか? そのへんのもやもやを心に抱くとき、医療界のある意味ヒステリックとも言える反応をみて、何となく違和感を覚えたのです。

はっきり言って、まるちょうは異端だと思う。こんなん「医者としてタブー」の立場だろうし、自分でも「これって自己否定にしかならないのでは?」なんて思ったりする。でも「感情論よりも客観論」という冷静なコメントに対する違和感、もっと強く言えば反感は、確かに自分の中で存在した。それは間違いない。今回のBlog作成の起点はそこからです。あくまでも自分の直観に基づいて、この事件に関する所感を記しました。あしからず。