診断におけるバイアスを強く感じた一例(まるちょう診療録より)

70代の男性。もともと5年前に心筋梗塞(三枝病変)されて、PCIにて完全血行再建されている。持病の糖尿病は、あまりコントロールがよろしくない。5月中旬にT診療所の総合内科を受診された。主訴は左前胸部のしめつけ感。5年前に心筋梗塞を起こした時と似た症状と言われる。朝食後から来院時(17時すぎ)まで、その胸部症状は治らない。

ここまでのカルテチェックと問診で「ほぼ心臓」と思ってしまう。というか、心筋梗塞の再発は、とてもリスキーなのです。まず、その除外をしなければ、話を進めてはいけない。まずはECGチェックを。HR109の頻脈あり。ST-T変化は有意なものなし。新たなQ波も認めず。医師の心理としては、いったんC病院のQQを受診してほしい。でも、患者さんは、いったん車を家に置いてからと主張される。妥協案として、採血をすることに。

採血結果。いちばん大事なのはトロポニンIという項目。これが上昇しておれば、即刻C病院へ入院。しかしこのケースでは、トロポニンIは正常域だった。その他の心臓に関する項目も、ほぼ正常。胸痛としては消失しており、労作時息切れが気になるが、いったん帰宅OKと判断された。

その翌日、僕の外来を受診された。今回はしっかと入院セットを持参されている。いかにも「今度はちゃんとC病院、入院しますから!」という塩梅である。だって、息が苦しいのは変わらないのだから。このまま紹介状を書いて、C病院に向かってもらうことも考えた。BP82/60、P117、SPO292%。血圧がやや低い。相変わらず頻脈だし、酸素化もよくない。転送するとしても、現時点でのレントゲンとECGは撮っておいてもよいのではないか。患者さんは「すぐに入院させてくれ!」と主張されたが、まあまあまあ・・となだめて、レントゲンと心電図だけ撮らせてください、と、ちょっと下からお願いした。いちおう了解をうる。もちろん、酸素の投与は開始。

ECGは昨日と著変なし。レントゲンを見てたまげた。右の大いなる気胸である。左への縦隔偏位も少し認めるか。僕の思惑としては、心臓に問題があるとしても、心不全の可能性は常についてまわる。心不全を評価するのに一番よい検査は、レントゲンである。だから、ECGとレントゲンはたいていセットでオーダーされる。だから、前日のECG単独のオーダーは、やや奇異に感じていた。だって、SPO2下がってるし、息苦しいという訴えもあるのだから。

こういうのを専門的には「バイアス」と呼ぶ。つまり、思考を歪める心理効果。いろいろな要因によって推論が正確でなくなる場合がある。今回の症例は「早期閉鎖(Premature closure)」と呼ばれる。つまり「この患者さんは重大な虚血性心疾患を持っている」というバイアスにより、推論過程の早期に正確な診断の可能性を捨ててしまった。

偉そうに書いていますが、初診の先生は、いつも大変なんです。最前線に立つDrの緊張、苦労、悔悟を、僕は十分に知っています。だってね、初め患者さんは「左前胸部のしめつけ感」を訴えているんだよ。右じゃなく。これは患者さんが、以前味わった「心筋梗塞の恐怖」に操られている状況である。Drはミスリードされるよね。

あるいは「後医は名医」の典型例だったかもしれない。僕は最前線に立つ総合内科医として、日々、そうした「初診医としての悔悟」を味わっています。とにかく今回は、ちゃんと診断をつけてC病院に転送となり、いい仕事ができたかなと思っています。以上「まるちょう診療録」からお届けしました。