過去を持つ愛情・・「人間交差点」より

人は人と共に暮らし、絆を育んでいく。それら一つ一つのことに、それぞれの風景と時間と愛がある。愛を持つからこそ、過ぎ去っていく時間や風景が、その人の中で過去になっていく。人は愛を持てばこそ、老いていくことも耐えられるのだ。

本作の科白を修正して、巻頭文といたします。本作の出立点となる言葉です。つまり、誰かを喪ったとき、それに代わる人は「誰でもよい」ということは、あり得ない。まずは、あらすじから。ちょっと長くなりましたが、お付き合いください。m(_ _)m

32歳の独身の女性。昼下がりに電車に乗っている。向かい側の席には青年が座っている。車両には、その二人だけ。女性はその青年を意識しはじめる。ドキドキドキ。電車は短いトンネルに入る。ほおを赤らめる女性。トンネルを出ると、青年の姿がない! 女性は青年が電車から飛び降りたと思い、緊急停止のレバーを引く。

トンネルの中には、男の人の姿も死体も見つからず。女性はノイローゼ扱いされ、電車14本が30分遅れた。後日、彼女は松本探偵社を訪れる。「その男性を探してほしい、私は絶対に見ているのです、じゃないと気持ちの整理がつかない」という依頼。その男性は、彼女が小さい時に死んだ父親の顔によく似ていたという。

トンネルの中を探しながら、松本は想う。あれは30年くらい前、妻を亡くした年の夏。松本と息子が電車に乗っていた。息子が突然、指をさして「父さん、お母さんが座っているよ」と言う。否定する松本に息子は「本当だってば、ほら、こっち見て笑ってるじゃないか!」と。

ちょうどその頃、松本は義姉から再婚話を持ちかけられていた。「どうせ再婚なんだもの、良夫ちゃんを可愛がってくれる女(ひと)なら、誰だっていいじゃないの」


その時の松本の所在なげな表情を見て、息子は不安になった。じっさい、息子は母のことを愛していたし、新しい母が来るのは反対だった。そうして、電車の中で「いまは亡き母親の幻覚」をはっきり見た。

聞き込みを続ける中で、松本は「あの女はそのとき、酒の匂いをプンプンさせていた」という証言を得る。彼女にただすと、あることがショックで会社を早退したのだという。昼休みに後輩とたわいない談話。男性の影がうすいその女性に、後輩いわく「変わってますね、先輩も。だって男なんてみんな同じじゃないですかぁ」と。その女性は、その言葉に強い嫌悪感を抱き、慄然となる。そうして駅でカップ酒を買って、一気に飲んでしまった。


松本は彼女に「あなたは嘘をついた訳じゃない。本当に見た・・ ハッキリと見た。でも、その青年は実在しなかった。これはどちらも真実なんだ」と説明する。彼女は肯く。しかし、ここで松本は大きなミステイクをしていたのだ。・・六ヶ月ほど過ぎたころ、トンネルの出口付近に白骨化した死体が見つかった。「盲点でした」女性に謝る松本。青年は自殺だった。身寄りもない、世間から忘れられた様に、ひっそりと生きていた青年だった。「まるで私のことみたいですわ、フフフ」と彼女。「その青年に恋してしまったのよ、私。その青年の存在を一度も疑ったことはありませんわ。こんな形の恋ってのもあるのね・・」 彼女の恋は一瞬で過ぎさり、育む時間は与えられなかった。


本作はミステリー仕立てになっていますが、やはりキモは「男(女)なんて、誰だっていい」という言葉への反発です。愛なんて、あとから付いてくるもの、という考え方もあろう。でもそこには、どこかに不潔さがつきまとっている様に思う。その微かな不潔さを許せない人は、愛に関して「不器用、下手くそ」という烙印を押されがちかもしれない。本作に登場する女性は「男なんてみんな同じ」という言葉を許せなかった。はたして「同じ」なんだろうか?

ここで「斜陽/太宰治 作」の直治に登場してもらおう。

人間は、みな、同じものだ。
なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主主義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれを言う。「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」

直治も貴族という己の出自に反抗して、荒れに荒れ、自死する。上記は、その遺書から引用しています。彼は清潔な人だった。清潔だからこそ自分を許せず、めちゃめちゃになった。清潔さとは、宿命的に弱くて不器用である。直治の人生は、傷だらけで下手くそだったが、この遺書だけは美しく、仄かな光を放っていると思う。


「同じ」を肯定できる人は、強いと思う。でもその分、どこかに穢れを持っている。ただ、人生そのものが穢れたものである以上、その人は人生を勝利する資格を持っているのかもしれない。逆にいうと、敗者は美しいのかもしれない。僕なんかは、直治の必死のプロテストをどうしたって庇いたくなる。本作の32歳独身女性は、ひっそりと生きる真面目な人であった。彼女の中の「真理」は寸分も間違っていなかったし、その「清潔で不器用な」感性も、僕はまっとうと思う。穢れの中で生きているとしても、そうした「弱さ」が蹂躙されないよう、祈るのみです。以上、漫画でBlogのコーナーでした。