「イコライザー/アントワーン・フークア 監督」を観た

最近、YouTubeを見ていて「イコライザー」という映画のビデオ・クリップが流れてきた。どうも、デンゼル・ワシントン主演のアクションものらしい。デンゼル・ワシントンは好きな俳優さんで、「眼で演技できる」人だと思う。例えば「マルコムX」のイスラム教の洗礼前後の眼の変化は、すごいと思った。洗礼前の人なつこい眼差し。これは彼の「人のよさ」が現れるし、とてもチャーミングで好き。洗礼後の神が降臨するようなシーンは、何かに取り憑かれたような鋭い眼差しになる。「イコライザー」は、2014年に公開され、興行的に大成功をおさめ、続編である2、3がその後、製作された。ドラマ版では、女性が主人公みたい。

分かりやすく言うと、米国版「必殺仕事人」かな。概略みたいなのと予告編を載っけておきます。

昼はホームセンターで真面目に働くマッコール(デンゼル・ワシントン)。元CIAのトップエージェントであったが、現在は静かに暮らしている。ある夜、娼婦のテリー(クロエ・グレース・モレッツ)と出逢い、本に関する他愛のない会話を交わす内に、彼女がロシアン・マフィアに酷い仕打ちを受けていることを知る。人生に夢さえ抱けず、傷つけられるテリーを助けるため、夜、マッコールはもう一つの「仕事」を遂行する-。それは人々を苦しめる悪人を葬り、どんなトラブルも完全抹消すること。しかし、この「仕事」がきっかけとなり、ロシアン・マフィアがマッコールを追い詰めて行くが・・



ばっさり言ってしまえば「勧善懲悪もの」なんだけど、我らがマッコールと「世界を支配する悪」との戦いの描写は、とてもスリリングで引き込まれる。マッコールは常に「正義を遂行する」人である。若者の夢や挫折をしっかりと拾い上げ、陰から支援する。不正や暴力を「殲滅」していく様は、スッキリ感半端ない。マッコール自身は、そうした「正義を遂行する」ことの妥当性について、いつも考える。知人の意見を仰ぐこともある。彼は自分の「暴力性」について、自省的である。でも、世界に蔓延する不正や暴力に対する「憎悪」は、少し常軌を逸しているのかもしれない。そうして今夜も彼の「闇の仕事」は、執行されるのである。

ひとつ、とても心惹かれたシーンがある。冷酷無比なロシアン・マフィア幹部との対話。そこでマッコールは、かなり長めの「犯罪に関するエピソード」を語る。それはロシアで有名な話であり「悪の矯正がどこまで可能か?」という内容。結論的には「限界がある」とマッコールは述べる。犯罪者が自分の悪を克服する可能性を「すでに諦めている場合」、彼はどんなに理解のある環境で暮らしていようが、犯罪を続ける。彼は差し伸べられている「温かい手」でさえ、期待に添えられない自分を恐れて、それを抹消してしまう。吹き替え版の映像を載っけておきます(マッコールは大塚明夫)。



死刑廃止論が広がっている今日、上記の「限界論」はとても重いと思う。イコライザーは、理想論の限界を熟知している。彼はギリギリのところまで「悪が自省する」余地を与えるが、最後はまったく容赦しない。マフィア幹部に電話番号を渡すところなんか、ちょっと滑稽でさえあるけど、彼の流儀なのだろう。デンゼル・ワシントンかぁ〜、カッケーなぁ!