Blogそろそろ再開します

どこの扉を叩いても開かない悪い時期っていうのは、外へ向かおうとしてもドアが開かないから、じゃあどうすればいいのか、内に向かえっていう指令なんです。



いきなり小洒落た感じで、美輪明宏の言葉を載っけてみました、すんません。でも、三月からの約三ヶ月という間、わが家はたしかに「危機」を迎えていたのです。ドアが開かない「閉塞した」期間だった。しぜんとBlogを書く意欲はうせ、休止ということになりました。「内に向かう」というような格好いいものでもなく、それは文字通り「停止」だったのです。

「危機」については詳らかにしません。それは停滞であり、疲労であり、閉塞でした。でも、ようやく光が見えてきたかな?というところです。まだ行く手は険しいけど、ちょっと足がかりができたかもしれません。


人間にはバイオリズムがある。この世は二つのもので構成されている。宇宙の法則。正と負、プラスとマイナス、陰と陽、光と闇、吉と凶、全く違うもの。それなのに皆は片方だけを望んでしまう。闇がなければ光も無い。



この美輪さんの言葉は、深いと思います。人間の真価は「闇に入ったとき」に試されるのだと思っています。ジタバタともがいて傷を深めるのではなく、じっと光が差し込むのを待つ。やるべきことをこつこつこなして、好機を待つ。淡々と日々を生きて、悲観しすぎない。例えば、田口ランディ氏がこう言ってる。

起きていることに逆らわない。抵抗のエネルギーを使うだけムダだから。面白がって受け入れてしまえばだいたいうまくいく。人生はその時どきに創造するもので、あらかじめ組み立ててしまうと、かえって焦るし、失望するし、落ち込む。



むかし誕生日のお祝いに「いいことばかりの一年でありますように!」という言葉を贈る人がいて、なにか妙な違和感を覚えた。これはお祝いのように聞こえるが、いかんせん深くない。「いいことばかりの一年」というのは全くのファンタジーであり、場合によっては「油断してコケろよ」くらいの悪意さえ汲めなくもない。悪いこともあるだろうけど、負けずに強く生きてね、というのが誠意あるお祝いだと思うんだけど、どうだろう?

闇ってなんのためにあるのかね? ていうか「なんのため?」という問いかけ自体がおかしい。闇はそこらじゅうにあるんです。あなたが気がついていないだけ。人は野井戸に落ちるように、ふとしたスキに闇に吸い込まれる。そうして「人生の格闘」を天より試される。「いいことばかりの一年」という能天気なフレーズを、私は呪わずにはいられない。闇や罠はそこらじゅうに仕掛けられている。そう、人生いたるところ戦場なのです。

そうした闇や罠といった「ネガティブさ」を熟知して、はじめて分かること。この三ヶ月という「暗さ」があったからこそ、今という「ほのかな光」を慈しむことができると思う。繰り返しますが、まだまだ道は険しい。でも本当の意味での危機は去った。Blogを書く意欲も出てきました。そろそろ再開していこうかなと思っています。最後にニーチェの有名な言葉を載っけて、おしまいにします。

昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか。