ブルーベルベット/デヴィッド・リンチ監督(2)

前回に引き続き「ブルーベルベット/デヴィッド・リンチ監督」より。「distinctiveということ」と題して文章書いてみる。本作で登場するさまざまの「奇妙な」アイテムたち。例えば、いろいろなタイプの耳、眉毛の太いおかま、太った三人のホステス、光るマイク、子宮の内部を思わせるような赤基調の部屋、獣の咆哮と炎、ドラッグ吸引のためのマスク、羽根窓のクローゼット、耳を切り取られて口にブルーベルベットの布を詰め込まれた死体(長いな)・・数え挙げ始めるときりがない。これらは全て、リンチ監督のイマジネーションから生み出されたものだ。

さて「distinctive」という単語は、ドロシー役のイザベラ・ロッセリーニがリンチ監督を評して出てきた言葉だ。特典映像のドキュメンタリーの中で出てくる。それほど強調されて出てきた言葉でもないんだけど、まるちょうにとっては異様に「引力」を持つ単語だった。さっそく辞書を引いてみよう。

「distinctive」☞示差的な、弁別的な、特有の、区別の目安となる、等々。類語として「distinct」☞(~と)まるで異なった、(知覚によって)はっきり認識できる、くっきりとした、(出来事が)異常な、めったにない


まるちょうという人は、こうした「地味だけど、拡がりのある」単語は、なんか愛してしまうのね。リンチ監督の映画やドラマって、他の人の映像とはなんか違う、いわゆる「独自性」が確かにある。「これはリンチ監督の作品だろう!」と視聴者を認識させる力、それが「distinctive」ということである。誤解を恐れず、あえて一言で表すと「こだわり」ということになるかもしれない。象徴的なエピソードをひとつ記しておく。

ドロシーの部屋で、スタッフがリンチ監督を探していたとき。どこにもいないと思ったら、監督は隅にうずくまり、暖房機の下で無心に綿ぼこりを集めていた。たとえカメラに映らなくても、そこに綿ぼこりがあれば、よりリアルになる。そのスタッフはその異様さに、もちろん驚いた。

映画監督という職業にとって、一番大切なものは?と考えると、結局この「distinctive」という資質ではないだろうか? 映画監督というか、クリエイター全般に必要だと思う。「ここはこうで、あちらはああでなければいけない」というこだわりね。リンチ監督が脚本を書いた時点で、あらゆる細部のイメージはすでに構築されている。それは論理でなく直観で。そしてリンチ監督の感覚は、ある意味で「病的」とも言える。「distinct」が異常性や逸脱を示唆するように。ご本人も「常識的なものではなく、歪んだものが好き」と言っている。ただ、ドキュメンタリーによると、リンチ監督ご本人は極めて健全な人だそうだ。「ボーイスカウトみたい」という形容すらある。しかしその内奥に秘めた異質性は、無二のものだと思う。

ひとこと断っておくけど、リンチ監督は自分のこうした「こだわり」を、役者には押し付けない。現場では、役者がやりやすいようにやらせるそうだ。長々と指導することもない。ごくごくシンプルに、ちょっとアドバイスするだけ。いわば「現場の流れ、空気」を大切にするという表現になるかもしれない。

要するに、リンチ監督は脚本を書いた時点で、作品の世界観を極めて細部まで決定してしまうけど、現場ではそれをある意味あっさり破棄してしまう。役者の持つ「talent」を最大限に尊重する。だって、キャスティングしたのは自分だからね。監督という仕事は、現場でのそうした矛盾との戦いでもある。「distinctive」と「talent」のせめぎ合い。でもこれを乗り越えて、もし何らかの「ケミストリー」が生じたならば、それは幸いなことである。その必然と偶然の狭間で、映画は創られる。監督って、そのへんのプロセスを静かに見守れる人じゃないとできないよね。ホント、度量が試される職業だ。認容性というかね。もちろん自分の「distinctive」に溺れる監督は、凡庸という結論になる。

images-1冒頭にたくさん列挙した奇妙なアイテム。最後に「救いのアイテム」を記して終わりたいと思う。それはずばり、コマドリ(写真)。サンディが語るシーンがあるので、引用してみる。世の中の悲惨さに打ちのめされているジェフリーを慰めて、語る。

夢を見たの。あなたと会った晩よ。夢の中ではこの世は闇。それはコマドリがいないからよ。あの鳥は愛の象徴だもの。最初は長い長い間、闇ばかりなの。ところが突然・・何千羽ものコマドリが放たれて、愛の光を持って舞い降りて来たの。その愛の力だけが、闇の世界を変えるの。光の世界に。悲劇が続くのも・・コマドリが来るまでよ。

リンチ監督は、暴力と狂気と欲望の渦巻く歪んだ世界を執拗に描く一方で、こうした「悲劇が終わった後の愛と光の時代」を予言して、ラストはちゃんとそうなる。コマドリについて調べてみたけど、特に「救世主」としてのエピソードはないみたい。シンプルに愛らしい鳥だ。これもリンチ監督のイマジネーションなんだろうな。つくづく面白い人だと思う。以上、二回にわたり「ブルーベルベット」について語りました。