村上さんは、なぜ選挙に行かないの?

「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりに考えてみたい。

<質問>こんにちは、28歳の女の子です。「村上春樹さんは、一回も選挙に行ってない」と主人に言ったら、ぷんぷん怒っていました。「先人が苦労して勝ち取った選挙権を行使しないとは何事じゃ!」。私は「村上さんは、政治に無関心ではないよ。国歌は『上を向いて歩こう』がいいって書いてあったし。オウム問題についても、すごい本書いてるし」と、フォローしてみたのですが、納得してくれません。村上さんは、何故、選挙に行かないのですか?

<村上さんの回答>今の選挙制度に対しては、昔から一貫して、砂を噛むようなむなしさしか、僕は感じられません。じゃあ、それにかわる何があるんだと言われたらそのとおりなんですが、僕はどうしてもすんなりと納得できないのです。それよりは僕は、僕にできるもっとべつのかたちの政治的行為を追求したいと思っています。小説を書いたり、食品を買いに行ったり、表を走ったり、そういうあらゆる社会的行為、個人的営為の中に政治性は否応なく含まれているはずです。僕が投票をしないというのは、そういう「個人的な政治行為」というテーゼのひとつの「象徴」になっています。僕はただ政治性においても極端に個人的であるだけなのです。

<まるちょうの考察>「政治に参加する」って、どういうことだろう? 我々小市民は、やはり選挙権をしかと行使して、国政に民意を反映させることを、まず考える。ただ、村上さんレベルになると、ちょっと話が違ってくる。いわゆる「オピニオンリーダー」になり得るんだね。ただ、村上さんは某新党日本代表のT氏などのように国会議員なんかにはならない。村上さんは、自分をよく知っている。つまり「極めて個人的な存在」ということね。組織に入った瞬間から、自分が機能不全になる。それを熟知されていると思う。有名だからというだけで、選挙に立候補して当選したのはいいが、結局議員としては使い物にならず、政界を去る人のいかに多いことか。それらは全部「自分を見極めていない」がゆえの失敗である。まぁ、前出のT氏は、そういう意味では政治家には向いていたのだろう。でも作家としての志は、貧弱だと思うけど。

さて、村上さんは自分の限界を知っているからこそ「個人的な政治行為というテーゼ」を実行されている。噛み砕くと「書き物」という媒体を通して、大衆を動かしている。政治の根本は「集団を動かす世論を形成して、集団にベクトルを与える」ということ。村上さんは政治家ではないが、そういう観点ではちゃんと「読者という、ゆるい繋がりの集団」にベクトルを与えている。もちろん政治家になって(それは村上さんなら簡単だろう)、直接国政に携わる方が強い力を使えるだろうが、村上さんは「それは自分の方法論ではない」と見切ってるのね。

もちろん、そのテーゼがあるから選挙に行かないというのは、やや傲慢かなとも思う。まぁ、格好よく言うと「村上さん一流の美学」なのかな。確かに現在の国政って、すごい無力感があるもんね。「俺が一票投じたところで国が変わるか!」みたいな。一票投じる代わりに、俺はひたすら書き物をつづける・・村上さんはこう思っているんじゃないかな。この「こだわり」は、一見格好よく見えるけど、その実、地味で苦しい作業だ。第一、政治家みたいに華々しくないし。まるちょう的には、この「一生を書き物に捧げてやる」という極めて自閉的な決意を、すごいと思う。そうそう、個人的に「dedicate」という言葉は大好きです。「何かにおいて、己を滅することができる人」こそが、本当の自分を勝ち取ることができる。例えば「dedicate oneself to…」で「~に専念する」という意味になる。ある分野に深く入って行こうとすれば、ある意味で「自閉的」にならざるを得ない。逆にそういう態度では政治家は務まらないし。

結局村上さんは確信犯である。間違っても「面倒くさい」とか「時間がないので」選挙に行かないのではない。極めて確信的に投票をボイコットしているのだ。その行為は、一種の「主張」でさえある。でも我々小市民は、これを真似てはいけない。我々は、すべからく自分の選挙権を行使して政治に民意を反映させよう。市井で生きる人間は、それらしく生きるべき。ただ、まるちょうは村上さん独特の「自閉性」の中に、一面で傲慢だけど、すごく烈しい意志を感じるのです。まさに「己を滅する」ような、烈しさ。村上ファンの多くは、ここに惹かれるんじゃないのかな?・・なーんてね。

最後はとりとめなくなりましたが、「村上さんのQ&A」のコーナーでした。