日輪の遺産/佐々部清監督(2)

前回に引き続き、映画「日輪の遺産/佐々部清監督」について。今回からネタばれありです。というか、そうしないと深いところまで入っていけないので。「#1 教育というものの怖さ」というお題で、少し書いてみようと思います。

ffdc6febb4e334cab6e63f500451d3c5本作で重要な位置を占めるのが、20人の女学生と野口先生(ユースケ・サンタマリア)である。13歳の純粋無垢な女子学生たち。頭には「七生報國」と書かれたはちまき。意味は「この世に何度も生まれ変わり、国の恩に報いる」こと。無垢な13歳の心に、こうした軍国主義の教えが叩き込まれている。断っておくが、野口先生はヘッセやモーム、トルストイを敬愛する平和主義者である。特高から睨まれているが、決して際立った反戦主義者ではない。教え子を愛し、自分の愛する文学を教え、軍国主義に反感を持ちながらもそれを隠し、戦時の矛盾の中で生徒をかばい、真摯に生きている市井の教師。そんな立ち位置だろうか。野口先生の希望は単純明快である。「生徒がみな健やかに学んで、成長してくれること」だったと思う。内心で「なんとかこの馬鹿げた戦争をみなで生き抜いて欲しい」と思っていたに違いない。そして辛抱して、この戦争が終わったら、生徒の個性をもっと伸ばせるような教育をしたい、そう思っていたのではないか。

野口先生は戦時の教育について、とても歯がゆかっただろう。頭に「七生報國」と刻まれたはちまきをして「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」と声を揃えて歌う生徒を、痛々しく思っていたに違いない。全体主義は個性を認めない。個は全て国のために捧げられるべし。野口先生は、こんな教育は根本98e74eb7a4b5869b91228d7ab94b94ab的におかしい、そう思っていたはずだ。13歳の女の子なら、それなりの願望や欲求もあるだろう。そうした自我を抑圧し「全てはお国のため」とする、明らかにおかしい教育について、野口先生は仕方なく黙認していた。だって、反抗したら、すぐに特高に捕まっちゃうもんね。当時のインテリゲンチャの中では、そういう態度は、むしろ普通だったと思う。「軍国主義に対する反感、嫌悪を隠して日常生活を送る」という態度。

しかし、20人の女学生は、そうした全体主義を反映した教育を無抵抗に吸収していく。なぜ無抵抗か? それは彼女らが素直で無垢だから。染まりやすいのだ。なんという悲劇。特にスーちゃん(土屋大鳳)という女の子は肋膜炎を病んで、体力がない。でも人一倍頑張り屋さん。父が軍人であり、そういう意味でも「七生報國の精神」は極めて強く叩き込まれている。映画のパンフによると、例のはちまきも、スーちゃんが作ったそうだ。他の子と同様の働きが出来ない分、そうした仕事で補おうとする性分なのだ。

さて、本作のクライマックスである、女学生たちの自決のシーン。1945年8月15日正午。玉音放送を聴いて、女学生たちは泣き崩れる。そこからの詳細は、敢えて記さない。とても婉曲的に書くとしたら「軍国主義的な教育の、最後の趣味の悪いいたずら」ということになろうか。例のスーちゃんがキーパーソンである。もちろんストーリーの流れで、級長の久枝(森迫永依)以外の19人の女学生が他界することは、すでに分かっている。分かっているが、この19人の自決のシーンは、あまりにも悲しい。動転する野口先生。毒薬を服用して苦しむ女学生をみて、小泉中尉(福士誠治)に銃殺を懇願する。この身を切るような辛さ、半端ないよ。小泉中尉も動転している。人を殺めたことのない軍人なのだ。何の罪も無い子供を銃殺せざるを得ないという、極限の状況。真柴少佐(堺雅人)はこの異様な惨劇に、嘔吐するしかない。そこでの無念、自責、悲嘆・・瞬間的に出来上がった戦慄のコンプレックスが真柴少佐を襲う。このシーン、凄まじい。涙が出る。抑えられない。心のなかの慟哭。

その時の野口先生の心中は? ひとことで言うと「空虚」だったのではないか。愛する生徒を失い、救えなかった、むしろ「銃殺」を指示さえした。すでに「生きる意味がない」と感じていたに違いない。いや「生きることを許されない」と。戦争が終り、ようやく生徒たちに「お国のためでない何か大切なもの」を教えられると思った矢先の出来事である。その無念は計り知れない。ほんのちょっとした運命のすれ違いから、久枝だけが生き残ることになる。その久枝に「大丈夫だよ、久枝。おまえなら、ちゃんとやっていける。しっかりとモームを書き写すんだぞ!」と気丈に振る舞い、今は亡き女学生の後をって自決する。

繰り返しになるけど、この悲劇の根本にあるのは「間違った教育」である。野口先生と19人の女学生は、国家という「巨人」に踏み潰されたのだ。野口先生は、戦時の教育が「明らかにおかしい」とは気づいていたはず。でも、それをあからさまに否定できない現実。戦争は、まさに国民にとって「抗うことの出来ない大きな波」だった。もう、ため息しか、出ない。

さて、この惨事の後、真柴少佐、小泉中尉、望月曹長(中村獅童)、そして女学生の久枝が、この世に残り、生きていくことになる。とりわけ、久枝の心にある「生きていく上での重荷」は、どれほどの物だったか。「自分だけが生き残ってしまった」という悔恨。まさに想像を絶するトラウマだったに違いない。八千草薫演じる、現代の久枝は、一見静かだけど、そうした「壮絶な葛藤」を乗り越えてきた人だ。その流れで、次回は「#2 日本人としての矜持」というお題で「各人の戦後の闘い」について、書いてみたいと思います。