グループ・1ーー「女ともだち」より

漫画でBlogのコーナー! 今回もお気に入りの短編漫画をネタに、語ってみたい。「女ともだち(柴門ふみ作)」から「グループ・1」より。27歳の女性四人が繰り広げる人間模様。本作の初出は1980年代。当時の結婚観は27歳が適齢期だったのだと思う。現代では女性が30代で結婚することはむしろ普通で、そのへんの人生観のズレが時代を感じさせる。あらすじに入る前に、簡単に四人の紹介を。

ともえ:無職、独身 両親と同居  みどり:主婦、子供一人
みいこ:広告代理店勤務、独身  吉井:書店勤務、独身

group_1吉井は妊娠していて、つわりがひどい。みいこの自宅に集う四人。吉井の相手は23歳の年下。他に二人も女がいて、吉井に「堕ろして別れてくれ」と迫っている。「騙された、金ふんだくって別れてやる!」と悔しがる吉井。みんな吉井に同情的な中で、ひとり冷静なみいこ。曰く「ハンハンで楽しんだんでしょ?合意の上での互角のゲームよ」と。四人の中では、クールで男性に興味がないかのように振る舞うみいこ。

しかし実は、みいこ自身も過去に妊娠→中絶の経験があった。でも誰にも相談しなかった。「自分の悲しみは自分ひとりで受けとめる」という姿勢。現在も彼女は不倫進行中。ある日妻子ある男性と食事して、ホテルに入る直前で気が変わる。彼女の中の何かが「それ」を拒んでいる。なぜだか彼女にも解らない。

group_4そうこうしている間に、吉井が切迫流産で入院。また集まる四人。みどりとみいこがテレビを見ている。ワイドショーで女優が不倫について突撃インタビューを受けている。「相手には妻子がいるんですよ!」「あたしはいっこうにかまいません。あたしたち二人の問題で家庭をこわす気なんかありませんから」group_5・・そこでみどりは「そっちはかまわなくても、こっちはかまうわよ!」と怒る。主婦目線の意見を目の当たりにして、みいこは自分の世界観の浅はかさを悟る。

そこへ、ともえが吉井のお見舞いを持って現れる。ずばり「タミーちゃん」。ともえ曰く「この人形が画期的だったのは、おっぱいがとがりセクシーなパンツもはいて、とても大人の香りがしたのよ」と。「自分の未来をこの人形にかぶせていたのね。おしゃれとか恋とか結婚とか」と吉井。そんな会話の中、みいこは自分がなぜ不倫の恋に踏み込めないか悟る。「恋は美しくあらねばならぬという少女の頃の信条が残っているからなんだ」と。group_6吉井は四人であれこれしゃべるうちに、すっかり元気に。「私たちって、いつまでもガキっぽい夢を忘れられない、その分、男で失敗することの多い、変な女の集まりなんだねぇ」


あらすじとして書き出してみると、筋らしい筋はない。柴門さんがこの話で何を訴えたかったか。ずばり「男女関係における、女性の弱い立場」だと思うのね。吉井という女性はとても惚れっぽくて、すぐに男に体を許してしまう。パート2でも22歳の大学生と性交して、妊娠して結局流産する。本当に惚れた男には、体を許してしまう。避妊もついうっかり→妊娠。group_2吉井さんの深層心理では「妊娠からどさくさに結婚にもつれ込みたい」という企みはあると思う。でも、妊娠しても、諸般の事情で中絶や流産ということも大いにあり得る。そこで体を傷つけるのは、紛れもなく女性なのだ。柴門さんはその「身体と心の痛み」を、暗くなりすぎずに描きたかったのだと思う。

group_3この短編の中で、柴門さんが放つ決め科白。ともえ曰く「生理だって一種の流産だよ。あたしたちは毎月卵流してんだ」と。こう言われると、我々男性はぐーの音もでない。女性は初潮からずっと、毎月「卵を流す」。対する男性は、さながら唐変木である。特にハイティーンの男女には、それだけの精神的、肉体的な乖離が、厳然としてあると思う。

まるちょうがそうした「女性の現実」を身をもって味わったのは、小学六年生の頃。京都府の舞鶴市から向日市に引っ越してきて、転校を経験した。その時、舞鶴ではなかった「便所掃除」という仕事が割り当てられた。もちろん女子トイレも掃除する。そこで目にした「血の付いたナプキン」。あれはかなりインパクトのある経験だった。はっきり言って、胸が苦しくなった。男の子として踏み込んではいけない場所にいるように感じたものだ。今考えると、お気楽な男子と対照的に、女子は毎月大なり小なり闘っていたのだ。月経という生理現象により、毎月「肉」を感じながら年を重ねる。だからこそ、女性特有のリアリズムは生まれると思うんだけど。男性は阿呆のように射精して、罪悪感は無意識の中に多少は刻み込まれるが、基本ロマンチストである。「暗くて痛い現実」から遠いのだ。

保健体育なんかで、いわゆる「性教育」というのをやるけど、あんなの屁の突っ張りにもならん。やはり女性の生理をちゃんと知るには、女性とちゃんと付き合うこと。そうして女性特有の「肉の記憶」を感じること。そこで女性の痛みに共感できれば、初めて「異性」を知ることができると思う。男性はそうして、愚かなステレオタイプから免れることができる。

この漫画が描かれた30年前は、避妊の意識ってどうだったんだろう? 30年前に比べれば、コンドームも改良されただろうし、ピルもある。若者よ、ちゃんと避妊しよう。若気の至りという言葉はあるが、最低限の理性は持とう。本作に出てくる最低の科白「堕ろして別れてくれ」みたいな、牛太郎にならないでくれ。こうした輩は、いつまでたっても浅薄なロマンチストのままである。男性よ、女性にリアリズムを学ぼう。深く、生きよう。

以上、漫画でBlogのコーナーでした。