「ナンパ」ーー女ともだちより

漫画でBlogのコーナー! 今回もお気に入りの短編漫画をネタに、Blog書いてみたい。今回は「女ともだち」(柴門ふみ作)から「ナンパ」という作品を紹介したい。まずはあらすじから。

ひとみは幼稚園の先生。昼間は幼稚園で「人見先生」として真面目に働き、夜はしっかりメイクして街に繰り出して、男の誘いを待つ。そのときは「ひとみ」。誘われたら、みさかいなくついて行き、そして男と寝る。ある日、奇妙な男と関係を持った。行為のあと、男は「ひとみ」の顔をなぞり、なでる。まるで盲人が、それを確かめているかのように。その男は「ボクが喜ぶこと、してくれる?」と尋ねる。ひとみが「いいわよ。手?口?」と答えると「『愛してる』といってくれる?」と男。ひとみは、結局それを言えない。異物感が胃に残った。

後日、その「男」が幼稚園に、夫婦で息子の参観日にやってくる。仲睦まじい姿を見せつける「男」。ひとみが、さりげなく男に挨拶したら、男は人見先生に「初めておめにかかります」との挨拶を返す。ひとみは「元の安全な『愛』に逃げ帰り、蔑んだようにナンパの女を無視している」と受け取り、やりようのない憤りを覚える。そうして、ラストシーン。人見先生は、部屋の片隅でメイクして六本木の女「ひとみ」に変身。「ハアーイ。あの晩は楽しかったわ」とやる。その瞬間、思いもかけぬことが起こった。

男の指が、ひとみの顔をゆっくりなぞり始める。あの晩のように。そして、あの晩と同じ笑顔。オボエテイルヨ、アノヨノカワイイヒトダと指が動く。オボエテイルヨ、ワスレハシナイヨと。いつの間にか、ひとみは静かに泣いている。園児たちの「先生!先生どうしたの? おなか痛いの?」という無邪気な言葉。ひとみはこれで幼稚園をクビになること、男は妻から問いつめられることは、間違いないだろう。でも、今はもうしばらく、この気持ちのいい涙に浸っていたい。

本作で柴門さんが一番やりたかったことは、おそらく最後のコマ、ひとみが心地よい涙を流すシーン。ここに力が集約されていると思う。この涙って、ひどく複雑な涙だと思うんだけど、どうよ? 幼い園児には全く理解できなかったのも仕方ない。簡単に表現すると「オトナの涙」だ。最初は戸惑い、そして次第にその「指先の温かい触感」に溶けていく、みたいな。顔をなぞるというのは、ある意味で「愛撫」である。その時、女性を「心地よい官能」が支配しただろう。だから、突き詰めていうと「性的な涙」という言い方が出来るかもしれない。それにしても、この男性のセクシーなことといったら!

まるちょうは本作を読んで「女性に取っての化粧の意味」について、ちょっと考えてみた。本作の中で「ひとみ」が自宅で化粧を落として、鏡でぼんやり自分の顔を眺めるシーンがある。「化粧を落とすと、寝ぼけたような目と眉だ」。ここの何とも言えぬ虚脱感というか「テンションが下がる」瞬間を、バッチリ柴門さんは描いている。女性にとっては、あまり触れて欲しくない部分だよね。

要するに「ひとみ」と「人見先生」は別人格なのだ。「化粧」という女性の必殺技は、それを可能にしている。そして作中の男性も、その「変身」を見抜けなかった。ところで女性って、潜在的な多重人格者なんだろうか? あるいは生まれついての俳優というか。女は化けて、男を惑わす。男の方も、内心そういった困った女に振り回されることを願っている部分もあったりして、始末に負えない。

男は何故「愛してる」と言って欲しかったんだろう? ナンパした女にこれを言わせるのは、ある意味「ルール違反」だ。その理由は謎だけど、そう言っておいて無防備に目を閉じる男というのも、すごくセクシーである。この「無防備さ」が大事ね。女の「縦横無尽な変化(へんげ)」に対する、男の一番格好いい対抗策である。女の戦略には、男子たるもの丸腰で向かうべし。もちろん理想論だけど、ここの男の目を閉じた表情は、そういったことを連想させる。

本作のラストは、収束になっていない。エントロピーが増大して、幕が下りる。無責任とおっしゃるな。あくまでも柴門さんは、ひとみが「オトナの涙」を流すシーンを描きたかったのだ。確かにあのコマは、とても「美しい」とまるちょうには思える。女の官能的な涙と園児の無邪気さの対比。いいね~。技が決まってるね。柴門さん、あっぱれ。

以上、漫画でBlogのコーナーでした。