ヘレンのもう、いや!/西川ヘレン



「ヘレンのもう、いや!」(西川ヘレン作)を読んだ。副題は「多重介護奮戦録」とある。これはお蝶夫人♪の蔵書。危機管理に余念のない彼女は、すでに将来の親の介護を視野に入れている。ちなみに、うちの両家の親は一応みなさん健在である。でも、親はいつかは老いる・・これは確かなこと。その対策を健康なうちに講じておくことは、とても賢明なことだ。彼女の介護に関する蔵書は、ざっと五冊ある。本書はそのうちの一冊。ヘレンさんは、文章を書くプロではない。だから、やや読みづらい部分もあったけど、その内容たるや、凄まじいのひとことに尽きる。親のドロドロとした「老い」に対して、それに負けまいとするヘレンさんの強い姿勢が書き綴られていて、介護の現実を感じることができた。以下、本書を読んで感じたことを記しておきたい。


まず「多重介護」の実態について記しておきたい。ヘレンさんは、実母と西川きよしさんのご両親を介護していた。それぞれプロフィールを記す。

きよしの父:1915年生まれ→現在94歳 躁鬱の傾向 出不精

きよしの母:1920年生まれ→現在89歳 のんびり屋

ヘレンの母:1909年生まれ→2002年没(享年93歳) 洗濯係


1971年から、きよしさんのご両親と同居が始まっている。実母とはそれ以前から同居。だから、ヘレンさんの実母が亡くなるまでの31年間というとてつもない年月を、三人の親と過ごされたわけだ。ヘレンさん自身も、1986年に卵巣膿腫で子宮と両側卵巣を切除。その後、更年期障害の地獄が待ち構えていた。その頃というと、三人の親はおおまかに、80才、75才、70才くらい。「以前では考えられなかった老い」が徐々に出てくる頃である。そのへんの「死闘」が、奔放な筆致で書き著してある。「書きたいこと、たくさんありすぎて、何から話したらええか、わからへん」そんなヘレンさんの心情を読み取れる。

何故に、それだけの苦労まで背負い込んで、自分の親の世話をしたかったのか。それは、ヘレンさんの生い立ちに依るところが大きい。ヘレンさんは父のいない家庭に育った。母一人子一人。いつも温かい一家団欒を夢見ていた。つまり、そうした「大家族への憧憬」が、三人の親を引き取るという行動につながっていると思う。

きよしさんは常々「あのな、嫁や娘にだけ負担がかかる、今までのような老人介護をなくすために、ぼくは国会で頑張っているんや。だから、ヘレンもひとりでなんもかも背負い込まないでええんや」とヘレンさんと話し合っていた。きよしさんとしては「ヘレン、無理せんでええ」という感じだったんだろうね。しかし「三人の親をしっかりと世話する」というのは、ヘレンさんの「生き方」に関わる、譲ることの出来ない一線だったと思う。そういう意味では、ヘレンさんという人は、凄く強情な人なんだろう。しかし、弱音を吐かず徹底的にやり通す姿勢は、素晴らしいと思う。そしてそれを見守るきよしさんも、大きな人だなあと思わずにはいられない。

ひとつ象徴的なエピソードを。西川家にはみっつの炊飯器があった。一升炊きの大と五合炊きの中と、おかゆ専用の小である。この小は歯の悪いヘレンさんの母と、胃の悪いきよしさんの父用だった。家族の他に、多い時は五人の住み込みのお弟子さんもいたので、すごいお米の消費量だったという。そして、この大家族が、揃って食卓を囲むというわけでなく、ばらばらにやってきて、好きなものを食べる。相撲部屋に似ているが、相撲部屋なら、ほぼ一斉に同じ鍋の料理を食べるだろう。ところが、西川家では、まったくそれぞれ勝手だったそうだ。要するに炊事だけ取ってみても、ヘレンさんの大車輪の活躍なくしては西川家は成り立たなかったのだ。しかもこれは家事の一部に過ぎないのであって、親の介護を含めた家事全体を考えると、本当に途方もない激務と言わざるを得ない。

本書のひとつの区切りとして、ヘレンさんの実母の最期が克明に記されている。転倒からの大腿骨頸部(だと思う)骨折→寝たきりへ。2001年8月末に脳梗塞を発症。それから翌年の1月19日の永眠まで、ヘレンさんを中心に親族の手厚い看護が続いた。これだけ尽くされたら、親も本望だろう。客観的にみてそう思うけど、ヘレンさんは実母の初盆で「あれで本当によかったんやろか?」と悲嘆にくれる。とても情の濃い人なのだ。

さて、自分の親の介護については? まだ将来のことなので、具体的なイメージが湧かない。でも、お蝶夫人♪からは「それがいけない」と叱られる。必ず来る「将来の責務」について、真剣に思いを巡らすこと。私は基本、楽観主義なので、そうした姿勢がなかなか取れない。でも、彼女の言うことも最もだと思う。今後も、彼女の蔵書をたまに読んでみようかと思う今日この頃です。