人生のゴールを決めるべきか?

村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>僕は塾の講師をアルバイトでやっています。現在中3の受験生を7名抱えているのですが、そのほとんどが将来何をしたいかというヴィジョンを全く持っていないのです。人生そんなにうまくいくわけのないことはわかっていますが、ゴール(やりたいこと)を漠然とでも決めて、そこに自分の道筋をつけていくという生き方のほうが、良いように僕には思えます。村上さんはどう思われますか?(20歳、学生)


<村上さんの回答>現代は世の中がものすごく複雑になって、情報が過密になり、いろんなものごとにそんなに単純に夢を託することができなくなってきました。だから「十代の頃に人生の目標をもてる」なんてことは、例外的な状況になりつつあります。僕は、それはまあ当たり前のことだろうと思うのです。僕は前々から「30歳成人説」を提唱しています。30まではいろんなことをやってみて、30になってから人生の進路をはっきり決めればいいじゃないかと。それくらいでちょうどいいような気がします。もちろん、人生の目標がしっかりあるのは素晴らしいことだけど。

<まるちょうの考察>実はまるちょうも、村上さんと同じこと考えてました。「20歳で成人」という慣習自体が、意味あるのかと。自分の20歳を振り返ってみても、まるで子供だった。人間や社会というものがまるで分かってなかったし、要するにアイデンティティの未熟な状態だった。村上さんのおっしゃる通り、社会は複雑化して価値観も多様化している。だから「モラトリアムの延長」というのは、認められてもよいような気がする。もちろんある程度の社会的責任は持ちつつも、人間的な成熟を周囲がそっと見守る、みたいな。20代は、分かり易く言えば「社会で揉まれて、己を磨く期間」と考えたい。

この「30歳成人説」は驚くことに、中国の聖人、孔子も同じこと言ってる。

十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ(以下略)

「三十にして立つ」とは、まさにアイデンティティの確立を言ってると思うんだけど、どうだろう? 経済的な自立は、もう少し早く可能だろう。しかし社会的、精神的に独立した存在となるには、やはり30歳なんだと思う。それにしても、孔子って約2500年前の人物だよ! なんで現代に生きる村上さんの価値観と重なるんだろう? その辺がとても興味深いし、あるいは「人間の不変性」みたいなものを感じさせる。ついでに言うと「五十にして天命を知る」という達観は、唸らざるを得ない。逆に言うと、それまでは自分の最終的な人生の指針は留保されていいのだ。まるちょう42歳。あと8年、いろいろやってみようと思う。

質問者の言うように「人生のゴール」がハッキリしているなら、それはそれで素晴らしいけど、あまり現実的じゃない気がする。もっと曖昧でよいと思う。特に20代はそう。曖昧な部分がある方が、ある意味「若い」と言えるような気もする。可塑性があるというか。「30歳成人説」という視点から言うと、成人式というセレモニーって結構「無意味で愚劣」なのかもしれないですね。

以上「村上さんのQ&A」のコーナーでした。