診療所新年会

今回は「診療所新年会」というお題で書いてみる。1月31日に、勤務している診療所の新年会があった。まるちょうは、大勢集まる宴会とか集会が苦手。すごい上がり症なのである。でも、呼んでいただけるのは、本当に光栄な事。日頃仕事の話しかしない人間同士で、プライベートなことを含めて話せる機会があるのは、正直言って嬉しい。招待を受けたとき、特に迷う事なく「出席」に○をしていた。 

昨年は診療所全体だったが。今回は内科のみ。そして場所も同じ。だから、それほど問題ないだろうと思っていた。日頃顔を合わさない総合内科の先生方が集まっておられ、電子カルテで名前だけ知っている先生の実物を拝見できたのは、大きな収穫だった。


所長の乾杯の音頭から、比較的少人数なので一人ずつ挨拶していくことに。私はこうなることをある程度予想して、比較的短めのコメントを考えていた。しかし、である。先生方、看護師のみなさんの流暢なスピーチよ! 内容的にもとても「遊び」があり、みなさん上手。私の用意していたのは、クソ真面目な短いコメント。みなさんそつなくスピーチされるのを見て、焦りながら内容を修正しようとするが、もう駄目。哀れなパニック。私は最後から二番目だったので、スピーチの番が回ってきた頃には「すっかりできあがっていた」。

ここまで書いて、みなまで言うまい。ああ、なんで俺はこうなんだろう。生まれつき、人前で喋るのは苦手。それが97年に組織から遠ざかり、会議とか宴会などに出る機会もなくなり「人前で喋るスキル」自体が退化していると思う。なんだかなぁ。42歳のオッサンだよ。小学生じゃないんだから。自分にガッカリ。

しかし、自分で思うほど他人は思っていないのかもしれない。その後の「ご歓談タイム」では、いろいろな人と有意義に話することができた。みなさん「私の無様なスピーチ」のことなんか全く無関係に、というか確かに意識されていなかったのかもしれない。こう「無様」なんて思っているのは、自分だけなのかな? 一種の自意識過剰なんだろうか? とにかく、みなさん何事もなかったように、ごく自然に気さくに楽しく接して下さった。本当にありがたい事だと思う。

大御所のK先生。体からほとばしるエネルギーと知性はすごい。乗馬をされていると聞いて、とても納得した。話される事も、とても思いやりと気さくさにあふれ、内心うなだれていた私を奮い立たせて下さった。看護師のMさん。二人もお子さんがいると聞いて、ちょっとびっくりした。若いな~(もちろんいい意味で) いつも機転のきく仕事ぶりに、助けられている。頼れる副主任さん。次に事務局長さん。この方とは、主に仕事の話。診療所のマンパワーがかなり辛い状態にあるので、善処願いたいとのことだった。70代のM先生が老体に鞭打って頑張っておられる話を聞いて、ちょっと心が動いた。しかし、現状はなかなか動かせないな~。そして看護師のIさん。この二月で病棟勤務になるそうだ。惜しい人材だけど、病棟でたんと学んで欲しいと思う。少しでも挨拶できてよかった。

こうした会話の中でも、私は全く席を動いていない。要するに「腰がすこぶる重い」のだ。これはもう病気だね。ビール片手にあちこち回るという余裕がないのである。あかんな~。臨機応変ということを、もう少し学ばないといけない。

総括。自分の不器用さに呆れ返ったひとときだった。42歳という年齢を考えると、背中に冷や汗が流れる塩梅である。こんなんでよいのだろうか? 確かにこうした集まりに参加するのは年に一度くらい。一度もないかもしれない。社会性というのも、もう少しなんとかしないと。そうした問題意識に苛まれた新年会だった。生まれ持った「独りが好き」という資質と「組織に入っていない」という環境的要因。なるべくしてなっているような・・あ~あ、なんだかなぁ。以上「診療所新年会」というお題で書いてみました。