ほぼ日手帳

過去にも何度か書いたけど、私は「ほぼ日手帳」の愛好者である。2005年から使い始めて、今では自分の生活サイクルの中に、すっかり溶け込んでいる。知らない人のために、参考文献をいちおう右に紹介しておく。この手帳の何が特長なのか? まるちょうの思うに、使用する人の可能性をとてもよく引き出してくれることだと思う。1日1ページの設定は、他でもない「可能性を引き出す」ための重要なコンセプトなんだろうな。最小限のスケジュールだけなら、1週間1ページで十分だからね。


確かに、特に何も予定が無くて余白だらけのこともある。2005年なんて、そんな日ばかりだったような・・ でも、自分の可能性を信じるなら、やはり1日1ページ。10年後くらいには、もっともっと賑やかなページになることを夢見て・・ もっともっと充実した日々が来ることを頭に描いて・・ 最小限のスケジュールだけなら、ほぼ日手帳は要らないけど、それでは「生きてる」とは言えないだろう。余白に記すような事柄こそが、人生の意義なのだから。

二年間使って、上記のように「ほぼ日手帳」の有用性は十分確認したので、2007年の手帳はちょっと奮発して革カバーを買ってみることにした。去る7日にほぼ日ストアで、オリーブグリーンをオーダーした。今はブルーブラック(ナイロン)を使っているので、ちょっとした冒険だな。11月上旬には届く予定。待ち遠しいよ~!\(^o^)/

さて、ついでに最近「いいな~、これ」と思ったほぼ日手帳の言葉をふたつ紹介します。

「見る」は「愛」である

<糸井重里がその昔、どこかで言った言葉>
これ、恥ずかしいけど真実ですね~ 興味のある対象は、やはり見てしまう。これは異性に限りません。モノでも同様。根底には「もっと知りたい」という欲求がある。自己抑制の強いまるちょうは、対象に引き込まれそうになると、意図的に視線をそらします。大人になるほどそういう傾向ってあるんじゃないかな? 子供は素直だから、まじまじと「見る」よね。ひとつ思いついた。「愛」の反対は「憎しみ」じゃなくて「無関心」ということ。夫婦円満の秘訣は「お互いに見ること」なのかもしれないですね。

ほんとに、これからは、

「自分の力量以下のことを、全力つくしてやる」

という人生にしていこうと思います。

それこそが、きっと自分の力以上のことができる方法だと、

つくづく思いました。

<「今日のダーリン」より>
糸井さんは現在58歳。となると、こういう発想になるのかな? 39歳のまるちょう自身も、既にこういう傾向はありますが・・ でも「無理をする」ということは、50代半ばまでは許されることなのではないか。それにより「新しい自分」を発見できたら、とても素晴らしいと思うし。「無理をする」ことにより、周囲に迷惑をかけることができる限度が、50半ばということかもしれない。「実行可能なことを、丁寧に誠意を持って全力で遂行する」というスタンスは、要するに品格の問題である。人生は、次第に収束すべきものだ。それを配慮せずに、どんどん拡散していく生き方は、愚かであると思う。その代表例が細木数子さんですね。まぁ、あの品の無さがテレビ向きではあるんですが。

ほぼ日手帳は、いろんなよさがあります。普通の手帳よりは、かなり高い価格設定ですが、それだけの価値は十分にあると思う。ほぼ日ストアの他、ロフトなどでも販売しています。手帳にこだわるなら、ほぼ日手帳。まるちょうのお薦めです。