落とす、落とされる

お題を決めて語るコーナー!今回のお題は「落とす、落とされる」。要するに、異性をわがものにする、あるいはされるという俗語です。mixiなど見ている限りでは、いわゆる若い世代では、よく使われている言葉のようだ。しかし、私はこの「落とす」という言葉には、一種の嫌悪感を抱く。「落とす」という言葉の響きに、落とした後の冷たさを予感するから。ハンターは一匹の獲物では満足できないということです。どうしても、刹那的で消費的なイメージがつきまとう。


まぁ、嫌悪感を抱くのは、単に、私自身に「落とす」能力が乏しいからなのかもしれない。例えば学生時代、合コンに何度か参加したけど、うまくいった試しがなかった。ちうか、合コンで飯食って酒飲んで、じゃあ俺帰るわ~、ってな感じだったな(遠い目)。駆け引きとかそういうのが全て面倒くさかった。でも今考えると、合コンという場は、まさに「落とす、落とされる」という目的の場だったんだね。あ~こわ(笑)。

「落とす、落とされる」というのは、要するに男女関係をゲームとして見ているわけです。確かに、若いときはそれでいいだろう。いや、健全な青春を送るためには、むしろそうあるべきなのかもしれない。ゲームとしての愛って、めっちゃワクワクするし、とても危険な香りがする。でも結局、その恋愛の末結婚したら、その後はゲームでなくなるわけです。そこに「ゲームとしての愛」の限界がある。

ゲームとしての愛の対極にあるのは「育む愛」です。ゲームが苦手な私なんかは、これが結構得意です。「落とす」ことが得意な人も、人生のある局面で、この「育む愛」にスイッチする必要があるように思う。スイッチし損なった人は、おそらく年を重ねるごとに不幸になるだろう。なぜなら人生の目的は、ハンターになることではなく、ものを形成することだから。

お蝶夫人♪との出逢いを振り返ると、「落とす、落とされる」という世界で結ばれたのではないのは確かです。要するに、二人ともそういった世界が苦手なタイプなのである。そうすると、まさに運命が作用していたとしか言いようがない。私たち二人にとって、出逢えたことは、まさに僥倖なのだと思う。

「落とす、落とされる」という世界は、もうたくさん。38歳にもなって、そんなこと言ってたら、神様に叱られちゃうよ。ひとつの愛を大切に、しっかりと残りの人生を生きていきたいです♪