近況・・父の急変とその後の「奇跡」について(1)

11月29日(金)の出勤時。嵐山の紅葉のせいだろうか、JR嵯峨野線はぎゅうぎゅう詰めで、円町に着くころには、すでにクタクタになっていた。T診療所に向かって歩く途中で、93歳の父から着信があった。「体が動かない、胸が痛い」という。しゃべり方が、いつもの父ではなかった。いかにも「重篤な病状」を示唆していた。どうしたらいいか? 僕はこのあと9時から外来業務が待っている。まず、キーパーソンである兄に電話。しかし繋がらず。佐井通りで立ち尽くす。落ち着け。こうした「急場」に強いのが、奥さんである。彼女はこうした時、適切に動ける人だ。奥さんに電話。彼女はズバリ「QQ車に至急、現場に向かってもらって、鍵を壊して部屋に入ってもらう」ことを提案した。これがまさに正解だった。さすが奥さん。その後二回、父に電話するも出ず。兄にも再度、電話したが、繋がらず。キーパーソン、何してんねん。父に繋がらない事実は、状況がかなり悪くなっている(意識がないとか)ことを想起させた。まず、T診療所まで歩こう。医局の自分の机の上で、作業しよう。路上でやっても、いろいろ効率が悪い。

T診療所で外来師長さんに「父が急変で、15分ください」と伝えたが、結局、代診となったようだ。助かりました、すみません。医局の自分の机で、息を整えてから119へ電話。奥さんの言った通りにことが進んだ。実家の住所、父の情報を伝えると、すぐにQQ車が現場へ向かった。
QQ隊員から電話。鍵は父が内から解錠できたと。父は嘔吐と尿便失禁をしていた。収縮期血圧が70-80くらい。父の既往としては、三年前に脳出血で入院。血圧が高めで、普段から降圧剤服用あり。認知症は軽度くらい。手足は動くとのこと。突然の発症と思われ、血管性の病変(AMIや大動脈解離など)か。搬送先は、二度入院歴のあるK病院がよいと判断した。すでにショック状態であり、一時間遅れていたら、救命できなかったと思う。奥さんの的確な指示の賜物である。感謝しかない。奥さんに電話で、K病院QQへ搬送の旨、伝える。兄は未だ繋がらず。何しとんねん?(▼▼メ)

K病院へ向かうタクシーの中で、K病院のQQ Drより連絡あり。心電図にてST上昇あり、AMIと診断したと。緊急のPCIになるとのこと。「PCIかー、お父さん、頑張れよ」 なんと言っても93歳なのである。高血圧と、長い喫煙歴がある。腎機能もそこそこ悪い。いきなり心停止もあり得るだろう。あれこれ考えていると、K病院QQに到着。若いDrが、心電図を見せてくれた。V456くらいでSTが著明に上昇している。回旋枝かな? そして、かねてから作成しておいた「父の病歴」を、その若いDrに渡した。今年の6月に作成したもの。役立つ日がとうとう来たか。そこから、ひたすら待機。10時半すぎに、ようやく兄から着信あり。「はよ来いや!」と心の中で叫んでいた。キーパーソンなのである。そして、11時すぎに、奥さんが現場へ到着。

昼ごろだっただろうか。中堅くらいのDrが、病状説明された。心原性ショックがあり、IABP併用にてPCI実施。#12が責任病変で血栓が多く、バルーニングと血栓の吸引をされた。末梢であり、ステントは留置せず。ただ、心不全としては、かなり重症であり、この末梢の閉塞だけで説明がしにくい。今回の一連のエピソードの核心には、まだ迫れていない、との認識。そして、血行動態が安定しないので、IMPELLAを使いたいと申し出があった。IMPELLAという言葉は初耳で、左室のポンプ機能を補助するデバイスらしい。同意に兄も加わって欲しかったけど、そんなん言ってる場合じゃない。小考で同意した。どうせIABPは抜去することになる。その時のアシストは必要に決まっている。



その後、兄が到着。そして、三人でひたすら待つ。14時ごろだったか、かなり貫禄のあるDrが病状説明された。曰く「回旋枝の虚血により、僧帽弁腱索(それも乳頭筋という太い部分)が断裂しており、急性の重症僧帽弁逆流が起こっている。そのために、重症の急性心不全となっている。若い方なら、開胸して僧帽弁形成術をすることになるが、93歳の方なので、開胸の手術は現実的ではない。残された唯一の方法は、開胸せず、カテーテル的に僧帽弁の逆流を軽減する「MitraClip」しかない。その経験数が多いのは、K医科大学です」。ここまで来たら、行くしかない。93歳だけど、急な出来事であり、トライできることはしておきたい。たぶん父も、そう思っているはず。兄と僕と奥さんは、同意した。そうしてQQ搬送に向けて、多難な調整が始まった。