さる9月24日(日)に、両親と医家芸術展に行ってきました。ただ、父(92)も母(82)も超高齢にて、簡単ではないと思っていた。僕がまず実家に寄って、昼飯食べてから、直でタクシーにて京都府立文化芸術会館(会場)へ向かう。
昨年は、それでなんとか行けた。でも、今年は母の状態が悪そう。数日前に電話した感じでは「かなりしんどい」とのこと。便通がよくないし、足が悪いのに頻尿である。老老介護で、超高齢の父がやれることは限られる。内心「今年は母は無理かな」と覚悟していた。やはり、無理をして事故とか、いちばん困る。
当日、伊勢丹で弁当を買って実家に向かう。リビングに母がいて、まず「顔が白い」と思った。いわゆる「生気のない色」ということ。さっそく簡単な診察を。結膜は貧血なし。橈骨動脈もよく触れる。脈は70くらい。いちばん怖いのは、大腸癌からの出血→貧血のパターン。とりあえず、現状で貧血はない。すると母は「今日は行くよ」と言う。僕はすっかりあきらめていたので、びっくり半分、嬉しい半分。母は「やると決めたらやる」人である。ちょっと話したりするうちに、顔色はよくなってきたようだ。
昼ごはんを食べて、都タクシーを呼ぶ。これは母の仕事である。母はイニシアチブを取ることが好きだ。それはそれなりの責任を問われる行為だけど、母はちゃんとやり切る。だから、その姿勢を最大限尊重する。あれこれ口出しはしないし、必要以上の手出しもしない。半世紀以上も付き合っているのだ。そのへんは心得たもの。
母は杖歩行で、ゆっくり歩く。京都府文化芸術会館は、エレベータが付いている。ただ、二階の会場で受付して、それからちょっとした階段がある。これは省略できない試練である。母は僕が受付している間に、ずんずん上っていく。ちょっとヒヤッとしたが、無事上り終えた。母としても、それはひとつの「達成」であったようで、嬉しそうだった。
父も母も、今や狭い世界をぐるぐるローテーションする毎日である。医家芸術展のような「別世界」は、なかなか新鮮なんだろうと思う。僕の「没我三態」も、楽しんでくれた。一階の前田珈琲で、くつろぐ。17時から搬出なんだけど、毎年それまで時間を潰すのが大変と言うと、母は気を利かせて16時までおしゃべりしてくれた。母なりの思い遣りと受け取る。実際、両親と別れてから、出町柳までウォーキングして、帰ってくるくらいで、ちょうど17時になった。何歳になっても、親の愛情というのは、嬉しいものである。
最後に。Kさんという存じ上げない人から、メッセージが受付に残されていた。いわく
三人の苦しんで、勝負をしている表情が大変、
味のある絵となっていると思います。
来年は何を描こう? まだまったくの白紙です。でも僕は、人間の表情にこだわりたい。今回は、ちょっと手応えがあったかもです。両親が見に来てくれて、本当によかった。以上、医家芸術展について、文章こさえました。