(再掲)ヒポクラテスたち/大森一樹 監督

さる11月12日に、大森一樹監督が70歳という若さで永眠されました。僕個人としては、ゴジラシリーズなどよりも、やはりこの「ヒポクラテスたち」を推したいです。大森監督にしか撮れない作品だったはず。心よりご冥福をお祈りすると共に、このBlogを再掲させていただきます。大森監督、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。合掌。




このDVDを観て。「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督)を久しぶりに観た。1980年公開のちょい古い映画だ。でも、まるちょうにとっては、とても思い出深い作品なのです。最近、DVDになっていることを知って、アマゾンで購入。八月初旬に夫婦で面白く鑑賞した。

さて、大森一樹監督の紹介を。この人、私と同じ京都の医科大学を卒業している。つまり、医師免許を持った映画監督である。この作品では、大森さんが母校を舞台として(作中では洛北医科大学となっている)、医学部最終学年のモラトリアムの中で揺れる医学生を描いている。

まず、予告編をお楽しみ下さい。本作の雰囲気を感じるのにちょうどよい。>この作品を初めて観たのは、1986年の大学入学時。その頃は、自分の学校が舞台となっているというだけで、あまり深い見方はしていなかった。まぁ、それでも十分面白かったんだけど。今回、あの頃とはひと味違う、やや老練な眼でこの作品を鑑賞して・・やっぱり、よくできた映画だと感じた。これって、大森さんしか撮れない映画だと思うんだよね。だから多分、大森さん自身にとっても、特別な意味合いがあるのではないかと推察する。

プロローグが洒落ている。真っ暗な画面から「分裂病の少女の手記」の朗読。そして、主人公荻野愛作(古尾谷雅人)の夢の中の映像・・夜の解剖実習室を彷徨する自分。もちろん、解剖用のご遺体が、整然と並んでいる。目覚めると、愛作は鴨川の河原に寝ていて、荒神橋でバイク事故があって、足がグチャグチャになっている怪我人がいる。愛作はその人だかりに近寄ってみるも、自分が医学的に何もできないことに気づく。運悪く白衣を持っていることに気づき、おずおずとその群衆から遠ざかる。

とてもよく練られた脚本だと思う。なんか、当時の大森さんの気迫が伝わってくるぞ。昔医学生だった人間には、たまらない語り口だ。臨床実習(ポリクリ)をまわる医学生というのは、本当に中途半端なんです。青春のまっただ中ゆえの傷や劣等感、純粋さも当然持っていて、でも国家試験は目前に控えているから、勉強のプレッシャーは常にある。要するにごった混ぜなんですね。その「ごった混ぜ感」を、極めてリアルに表現したのが本作なのだ。

まるちょうが一番この映画で惹かれる点は、青春の「光と影」である。

<光>医学部に合格して、もうすぐ卒業(医師へのコースが、ある程度約束されている)<影>

常に無気力が支配して、レゾン・デートゥルが見つからない


その光と影の対照が、とてもよく表現されている。影のイメージとして、例の「解剖実習室における彷徨」が所々に挿入されており、大森さんの意図が何となく汲める。結局愛作は、自分の彼女の堕胎に関する罪悪感に負けて、統合失調症(分裂病)の患者となる。ここで、冒頭の少女の手記に結びつくわけ。まぁその愛作も、二年後にはちゃんと卒業するわけだけど。

まるちょうのポリクリは・・全く愛作みたいな感じ。内心は使命感を持って真面目に実習を受けたいんだけど、体が動かない。規定の出席をこなしたら、あとは全て欠席。欠席して何をするかというと、寝るかバイト。たったひとつ、真剣に取り組めたことと言えば・・海外の一人旅。中国とかインドとかネパールとか。まぁ、自分で言うのもなんだけど、変なヤツだった。国試の三ヶ月前にネパールで遭難するんだからね(笑)。そういう意味では、大森さんの語る通り「ごった混ぜ」の青春だった(遠い目)。だからこそ、とても共感できる作品です。永久保存版だな(笑)。

以上、思い出深い「ヒポクラテスたち」について語ってみました。