違う、そうじゃない

今、ちょっとハマっている音楽がある。「違う、そうじゃない」という鈴木雅之の歌。この曲の存在は、ずっと以前から知っていた。本作がリリースされたのが1994年だから、僕が研修医の頃だ。僕は鈴木雅之という歌い手を、それほど好きというわけでもなく。ただなんとなく、タイトルから「いかつい鈴木雅之がモラハラする唄」と、勝手に思い込んでいた。今思うと、失礼この上ない。すみません、鈴木さん。

リリースから30年近く経過した今、YouTubeで映像を見ながら音楽を楽しむという形態が定着している。そのひとつ「THE FIRST TAKE」のシリーズは、歌い手や演奏の「動きや表情」を見ながら音楽を楽しめる。その中で「違う、そうじゃない」という楽曲の「真の姿」に刮目することとなった。映像と音楽をご覧ください。



鈴木さん、今年9月で66歳ですって。なに、この若さと色気と野性。これってねー、結局、挑戦しているかどうか、なんよね。自分の限界に挑んでいる人は、常に若い。それを映像で見せられつつ、粋な音楽が耳から入ってくるから、それは力をもらえる。最近、ストレッチのBGMはこの曲ばっか。

振り向いて 今信じて
走り出した 君の跡
追いかけて すぐその腕
掴んでも 振り払われても
違う 違う そうじゃ そうじゃない
君を逃せない
違う 違う そうじゃない
このままじゃ辛い 跪きそうさ

この曲は「弁明の唄」なのである。「俺の真意は別にちゃんとあるんだ」という男の切ない訴え。誤解を与える行為を、全力で謝る男。モラハラどころか、すごく下からである。なんなら跪いてもいい、とさえ言っている。それはなぜなら、女を愛しているから。「違う 違う」というのは、男の慌てぶりを表現していると思う。

この映像をみて思うこと。男の成熟とは「渋み」である。渋みっていうのは、どうして可能になるかというと、「一つのことをコツコツ積み重ねること」じゃないかな。黙々と我が道を愚直にすすむ男。鈴木雅之には、そうしたイメージを持つねー。たとえば、1994年当時のPVを載っけておく。



カラオケ映像みたいで、女の子がやや邪魔なのですが、鈴木さんはいい歳の取り方をしていると思う。現在の「渋み」はいくつもの矛盾を孕んでいて、何倍も魅力が増している。一芸に秀でる、とはまさにこのことやねー。

違う 違う 嘘じゃ 嘘じゃない
誰も愛さない
違う 違う 嘘じゃない
唇ふさいで 何も言わせない

弁明がいつの間にか「キスで唇ふさぐ」という飛躍。これぞ男の夢や〜(彦摩呂風に) でも令和の時代には、ちょっと難しいかもしれないっす。以上「違う、そうじゃない」で文章こしらえました。