さる3月7日(土)、午前中はT診療所で一般外来だった。わりと早めに終わり、簡単に昼飯を済ませてJR円町駅へ。イヤホンでポップスを聴きながら、春日通りを北上する。よく晴れて気持ちのいい週末。僕はこうした「仕事が大過なく終わり、ホッとした何気ないひととき」が好きです。JR円町駅で少し待ったあと、京都行きの電車に乗る。すると「おい、まるちょう!」と呼び止められた。O先生だった。
O先生の紹介を少し。大学の同期で、彼は耳鼻咽喉科医院を開業している。その日は彼も午前中仕事だったようだ。巨漢でグルメ通。おそらく食べることへの執念は、相当なものと察する。頭の回転はチョー速い。僕のようなカメのような回転速度では、まったく太刀打ちできない。天下のR☆高校出身である。
僕は街で知人をみかけても、どうも避けてしまうクセがある。人との関わり(特に偶然の)を、どうしても煩わしいと感じてしまうところがある。こうした回避的な傾向は、生きる上で「有害」であるに決まっているのだが、どうも変えることができない。「ひとりでほっこり」という安全策を選びがち。
突然の邂逅に、僕は当然ながらオロオロ。イヤホンをとりあえず外す。O先生は、これから京橋へ向かい、中学時代の同窓生と食事をするらしい。「はあはあ」と相づちをする僕。会話としては、O先生が九割くらいしゃべっている。彼の頭の回転速度は、それはもう速い。ついていくのに必死である。僕の頭脳は、だいたいが遅い。もちろん仕事中は頑張って回すけど、例えば救急診療なんかには絶望的に向かない。だから、仕事が終わってスイッチが切れると、言葉通りの「ドジでのろまなカメ(←ふるッ)」に戻ってしまう。疲れもあるしね。
だから、会話のキャッチボールができない。一月だったか、大学の同窓会の話になった。僕も彼も出席しなかったが、僕も彼も、ちょっとした過去があるのだ。いわゆる「敷居が高い」というやつ。行きたいのは行きたいけど、話が合わなかったり、冷たくされたりしたらどうしよう?とか。でも、幹事のF先生は、しっかりやっていたという点では一致した。
そろそろ京都に着く。会話のキャッチボールをしたいが、こちらから投げるべきボールが見つからない。疲労もある。なにかネタがあればと思うが、僕は疲れていると、どうしても思考停止に陥ってしまう。京都駅に着くころには、なんとなく「気まずさ」が漂っていたかも。だって、僕がなにもしゃべらないんだもん。O先生は京橋に行く前に、なにかおみやげを買うという。僕は伊勢丹で妻へケーキを買うつもりにしていた。少し早いホワイトデーである。
電車から降りて、ホームをぶらぶら歩く。「万一、このまま伊勢丹まで一緒だと、お互いに辛いな?」と思った僕は、トイレに行くふりをして、そこで別れた。O先生はこちらを見ず、手を上げてそのまま歩いて行った。「全部了解してるよ」という雰囲気が、その大きな背中に漂っていた。彼という人間は、良くも悪くも「easy come, easy go」なんだと思う。
僕はトイレに行くふりをして、数分そこに佇んで、それからようよう伊勢丹へ。地下二階の食料品売り場では、O先生と不本意な再会をしないかとヒヤヒヤだったが、ちゃんと目的を果たして帰宅できた。O先生、ちゃんとしゃべられず、ごめんなさい。僕は誰かとばったり会うと、たいていこうしたモヤモヤした心境になります。ああいう場面で、気の利いたこと言えたらな~ でも、そんな機知は持ち合わせません。何気ない場面でしたが、ちょっと心象風景を交えて語ってみました。
私は元来おしゃべりで、あなたは元来無口であることは、
もう30年以上前からわかりきっていることですがな!
普段私は誰と話しても7割くらいはしゃべっています。それが9割になっただけで、
相手がいつも通りのあなたですから、私は何の違和感も感じなかったですよ。
初対面の人ならともかく、古い知り合いなんだから、わかってるって!
「気まずさ」はなく、むしろ、あなたがトイレに行くと言った時に私は
「マシンガンすぎて辛かったかもね〜、ま、ええか!」程度に思ってたんよ。
「ああいう場面で、気の利いたこと言えたらな〜 でも、そんな機知は持ち合わせません。」
↑これが自分の個性だと、胸を張っているべきではないかと思うのです。
それよりも、あなたがべらべらとマシンガンのようにしゃべりだしたら、
私は心配してあげまっさ〜!
わかっている人には、「乗っかっちゃったら」ええのさ!
Take it easy.