詮ない話ですが、聞いてやって下さい。70代女性で、高脂血症で通院していた。とても穏やかで「優等生的な」患者さんだった。尿潜血がいつも陽性になるので、たまに腹部エコーを実施する。健診のようなものだ。2017年の6月にエコーを実施したところ、胆嚢の底部に腫瘍像が映し出された。肝臓への直接浸潤もあるという。僕は「えっ」となった。造影CTにて確認するも、ほぼ同様の所見。要するに、胆嚢がん(肝浸潤+リンパ節転移)である。C病院に入院となり、肝生検から腺癌が検出された。診断は確定されたのだ。手術適応はない。
本来なら、この時点でNさんは、僕の外来からは離れるのが通常である。だって、生活習慣病科であくまでも高脂血症を診ているのだから。でもNさんは僕と話をしたかったようだ。自分の想いを誰かに受け止めてもらいたかったのかもしれない。その頃のNさんは、とにかく多弁。僕としてはとにかく傾聴するよりない。必要なことをカルテに記載して、また次回、という感じかな。毎回、おまけのような尿検査だけはしていたっけ。
結局、京大病院へ紹介され、化学療法が開始された。計13回の試練。僕の外来は、二ヶ月に一回。初めは少し効いた。腫瘍がちょっと小さくなったと喜ばれていた。それが2018年の2月。しかし、5月にはまた大きくなってきた。8月に治験(新薬)の参加。しかし腫瘍は大きくなる一方だった。そうして11月には化学療法を打ち切ることとなった。
この頃、僕はNさんが外来に来るのが、ちょっと気が重くなっていた。Nさんがまだ受容に至っていないことは明らかだった。「なんで私がこんな目に遭わなければいけないのか?」というやり場のない怒りを持たれていたように思う。2019年2月にC病院の緩和登録は済ませた。でも、素直に緩和に入っていく気にもなれない。「もっと生きたい、どこかにその方法があるはずだ」という態度だったと思う。
当然のなりゆきというか、Nさんは代替診療へと足を踏み入れていく。WクリニックでUFT、ウルソ、ビタミン剤、丸山ワクチン、弱アルカリで野菜中心の食事、等々。僕はあえて否定はしなかった。「肉も食べたらいいですよ~」とか言う程度。しかしNさんにとっては、今やW医師が一縷の望みなのである。痛ましい気もしたが、静観するほかないと思っていた。死の受容は強要するものではない。自然と舞い降りるものだから。
そんな中、6月に両足のむくみで僕の一般外来を受診された。Dダイマーが19もあったので、深部静脈血栓症?と思って診察していたが、これは間違い。腹部CTを撮ってみると、肝転移した腫瘤が上腹部を凶暴に占有していた。肝臓そのものが癌の塊になってしまっていた。それにより、下大静脈の還流が悪くなり、下肢の浮腫が起こったと思われる。8月にはお腹がバンバンに張ってきた。CTを再検すると、腹水が貯まりはじめていた。
ここにきて、さすがに「もう緩和登録を使いましょう」と提案した。Nさんはすでに「強い意志」というのはなかったと思う。お腹の苦しさが、思考停止を呼んでいた。そうしてNさんはC病院へ入院 ☞ そのまま緩和病棟へと移っていかれた。それ以後、電子カルテで動向をチェックしていたが、あまりパッとした展開はなかったように思う。最後は黄疸から肝不全となり、傾眠 ☞ 9月下旬に永眠された。
末期癌であることを告知されて、自分の生きがいを真剣に探し、その結果「新たな自己」を見つける人はおられる。そう「死ぬまでにこれだけはやっておこう」という、頭の整理である。逆に、それさえできれば「死ぬことも怖くない」というパラダイムに至ることさえできる。でも・・こういう「賢明な人々」は、ほんの一握りなんだと思っている。Nさんみたいな、最後まで「迷い」の中で消耗していくような例が、むしろ普通なのかもしれない。Nさんが亡くなられて、Nさんの「行き場のない怒り」「哀しい迷い」が、この地上から消え去ったことに、少しホッとした。Nさんはようやく「平和」を迎えられたのだ。苦しかったね、Nさん。安らかに眠って下さい。合掌。以上、まるちょう診療録から文章こさえてみました。