ある時、嫁から「あなたはホントに、男気のない人ね」と言われた。まぁ、確かにな~。同期のH先生なんかは「男気がある」と言われてたっけ。この「男気から遠い」気質って、父ゆずりだと思うのね。夫婦で「男気」について、あれこれ語り合ううちに、これってわりと面白いBlogネタになるんじゃないかと。そういうわけで、今回は「男気って、なんだろう?」と題して、文章書いてみます。
まず第一に書いておきたいこと。上記のように嫁からは「男気がない」と言われた俺だが、内心では「俺、わりと男気あるんじゃない?」と思っていたりするんだな。もちろん、家庭では男気の「お」の字もありません。私は家庭でリーダーシップを取れる性格じゃないんです。司令官の座を「ささ、どうぞどうぞ」と、ダチョウ倶楽部のように明け渡してしまう。つまり、うちでは「父親の威厳」とか「頼れる夫」という言葉は、まったく無縁なのです。でも・・職場では、そんな態度でばかりはいられない。診療の中で、自分なりのスジは通さなければ、いい仕事はできません。まさに「男気」がないと、やっていけないと思うんですよね。
次に一般論を。たとえばWebで「男気がある」と感じる男性8パターンという特集をみかけた。ちょっと書き出してみますね。
【1】小さい約束でも必ず守る男性
【2】トラブルに直面しても逃げない男性
【3】無理して格好つけない男性
【4】困った人がいれば、率先して助ける男性
【5】自分の非を認め、素直に謝る男性
【6】友達や後輩の悪口を言わない男性
【7】「部下(後輩)の責任は自分が持つ」くらいの大きな心を持っている男性
【8】信念を持ち、打ち込んでいる男性
診療の場において、この八項目は、ほぼできていると思う。【7】は、部下がいないので何とも言えないが、それ以外はできていると思いますよ? 逆に、この八項目ができていない人は、仕事のできない人だろうと思う。私の場合、もちろん完璧にできているとは言わない。しかし、この八項目は、いわゆる「理念」のようなものだと思うのね。完璧にできないとしても、常に頭の中で「こうありたい」と祈念しているイメージ。それさえあれば、時がたつほどに、その人は「男気という頭角」を現してくるはずだ。
個人的には、こう考えます。男気とは、やはりリーダーシップ的な要素ではないかと。特に非常時に、先陣を切って、あるいは身銭を切って、行動できること。決断を迫られる局面で、冷静に考え、判断して、組織を先導できる人。そうすると逆に、平時はそれほど出しゃばる必要はないんじゃない? 日頃から「我が我が」という態度なら、上記の【3】に抵触するだろうし、やっぱり普段は「控えめ」なくらいがよさそうな気がする。必要なときにだけ、すっと存在感を示せるような人。「そんな奴、いねえよ!」なんて言葉が聞こえてきそうだね(´ω`)
結論いきましょう。夫婦関係において、夫を「男気がある」と認めている妻が、どれだけいるだろうか? 男気とは「成熟した男の所作」と言えるのかもしれない。つまり大人としての振る舞いね。職場では、私に「男気」を感じているスタッフはおられると信じている。つまり、男気とは、距離が近くなればなるほど薄れていくものなのだ。それは男気が「理想化された概念」だから。夫婦というリアルな距離においては「あら」ばかりが目立つ。まったく「男気」なんてモノの立ち入る余地はないのだ。だって、家に帰ったら男はこどもになりたいんだよ。家でこどもに還れるからこそ、戦場としての職場で「おとな」になれるのだ。その構造を解らないままで「男気」という概念を論じても、ナンセンスだと思います。そうして俺は思う「究極の男気とは、勲章を与えられない男気だ」と。以上「男気って、なんだろう?」と題して、ちょっと語ってみました。
家庭内で「男気」を求める嫁がいたとすればこれは間違いだと思う。
それを出す場面は(うちでは実際にあったのだが)嫁が交通事故を「起こして」これのフォローに回るようなとき、
あるいは子供がいじめられた時に父親が出ていくとき、
人生の大きな決断をするとき
こんなもんじゃないかな?
私の師匠(故人)は「好きなようにやって来い。ケツは拭いたる。」と言ってくれた。
本当に男気のある人だった。
残念な人を亡くした。
> カバ先生
確かに、家庭でも非常時ならば、しかと「男気」を発揮すべきですよね。
ここぞというときに、行動できる男でありたい。
まあでも、自分の30代半ばを振り返ると、全然「男気」なんてなかったですよ。
やはり、仕事と家庭で揉まれて、そういう「力」が養われるんじゃないですかね。
仕事と家庭は「先生」なりと。笑
Y先生、男気のある先生でしたね。まさにそういう人だったね。
心から、合掌。