「名前」ーー人間交差点より

15日の予定でしたが、待ち切れずBlog本格再開とします。「漫画でBlog」から始めてみようと思う。今回は「人間交差点」(矢島正雄作、弘兼憲史画)より「名前」という作品をモチーフにして語ってみたい。まずは、あらすじから。

小室は50代半ばの商社マン。家庭を顧みない企業戦士のなれの果てで、昨年離婚。今回、北米担当常務となり、約30年ぶりにニューヨークに来ていた。30年前の出来事を振り返る小室。当時、国内で親会社が倒産し、だぶついた製品をアメリカでさばくように、単身ニューヨークへ送り込まれたのだ。マンハッタンの古いビルの30階に作られた小さなオフィスには、マーサーという秘書が一人きり。小室は毎日、重い鞄を抱えて、市場を開拓すべく街中を歩き回った。マーサーは優秀で美しい秘書だったが、夕暮れになるといつも、30階の窓から紙ヒコーキを飛ばす小室のことを、どこか見くびっていた。マーサーは、小室だけでなく、有色人種全般に偏見を持っていたし、貧富の差にも敏感だった。

そんなマーサーも、小室と一緒に仕事をしているうちに、次第に態度が変わっていった。相変わらず個人的な話はしなかったが、小室のことをボスと呼ぶようになり、仕事も積極的になっていった。そうして、アメリカでの仕事がうまくいって、小室がアメリカを去ろうとしていた時、マーサーが小室のアパートを突然訪問した。仕事を替えるというマーサー曰く「私はあなたの会社ではなく、あなたに仕えていた。私のボスはあなたです。だから仕事を替えるのです」と。「ボスは素晴らしい、とても尊敬できる人。今まで出会ったどんな男よりも素敵だ、そう思ったの」。そうして初めて二人は胸襟を開いて語り合った。生い立ちから、なぜ有色人種と貧困を憎むようになったか等々。そうして、二人は何もなく別れる。

30年前のそのアパートをふらりと訪問して、感傷に耽る小室。「私はいったい何をしているんだ」と自分をたしなめる。そうして立ち去ろうとした時・・ショッピングバッグ・レディとして、路上に薄汚く座っているマーサーを発見する。「マーサー! どうして君が・・」「私に名前なんかありません」小室はとっさに紙ヒコーキを作り、マーサーの前に飛ばす。「ボス・・」と涙を見せるマーサー。「君がこんな姿になるのは、まだ早すぎるぞ」と涙の小室。そうして幕引き。

この短編を読んで一番感じるのは「無常」ということ。万物は流転する。形あるもの、全て朽ちていく。美しいものが美しいままでいることが、どんなに困難であるか。それが可能なのは、ずばり「神」だけだ。だから、一神教の文化が根付いた西欧や中東などでは、こうした無常観は、むしろマイノリティなのかもしれない。しかし、日本人であるまるちょうは、この「無常」から逃れられないという感覚がある。

美しくて有能な秘書、マーサーが、30年経過して薄汚いショッピングバッグ・レディになるというストーリー。実際、昔秘書をしていた人がそうなるケースは、結構あるという。マーサーはこう言っている。

あの木の下に昔、私が生まれた家があった・・ 私、今この地区に住んでないけど、人生の最後には必ず戻ってくる・・ そんな気がするわ。その時の為にこの場所はとってあるの。(中略)そう、何もかも失ったら、ここに戻ってくる。

小室と再会したとき、マーサーは「自分には名前がない」と言った。つまりアイデンティティの喪失ね。そう、彼女が失ったのは金ではなく、自分自身なのだ。その背景にある絶対的な孤独と絶望は、どれほどのものだろうか。「名前がない」というのは「名前をつける価値がない」と本人が思っているということである。まるちょうは、その虚無の深さに怖れおののくのである。思うに、そういうのは「ある純粋性」を心に持った人がなり得る状態ではないか。ひとりぼっちでも突っ走ってしまう、みたいな。だからそうした人は、誰かが救わなければならないのだ。断じて、そうあるべきだ。

小室が飛ばした紙ヒコーキは、30年前にマーサーが感じていた小室への淡い愛を目覚めさせた。そう、「無常」に対抗できるのは「愛」だけなんだね。何かを想い続ける心は、朽ちることはない。想い続ける限り、それは永遠となり得る。ラストシーンの両者の涙は、その永遠性を示している。

以上、「名前」という短編漫画で語ってみました。