「ウェブ進化論」(梅田望夫作)を読んだ。以前から気になっていた本で、ようやく読めた、という感じ。初刊から既に三年経過している。ひとことで言うと「ネット社会とそれを取り巻く人間の今後の展開」について、とても真剣かつ知的に語り尽くした書物である。梅田さんは現在49歳。文章から受ける印象は「潔くて正直な若々しい知性」。「ブレークスルー」という言葉を教えてもらったのも、この梅田さんだ。break throughとは「突破、打破」という意味。本書の中で、何度も出てくる。梅田さんを象徴する言葉として考えるとよいと思う。困難や混沌を乗り越えて、新しい世界へ抜け出る・・それこそ梅田さんの理想ではないだろうか。いろんな切り口はあると思うけど、まるちょうは次のふたつの軸で紹介したい。
#1 オプティミズム
#2 Blogと総表現社会
まず#1から。オプティミズムとは「楽天主義」のこと。まるちょう自身がオプティミズムについてすごく肯定的な立場なので、とても共感できた。以下にオプティミズム重視が現れている部分を抜粋してみる。
ネットが悪や汚濁や危険に満ちた世界だからという理由でネットを忌避し、不特定多数の参加イコール衆愚だと考えて思考停止に陥ると、これから起こる新しい事象を眺める目が曇り、本質を見失うことになる。(中略)世界全体で数億から10億以上という不特定多数の膨大さ、それ故の「数の論理」、それらを集約するためのテクノロジーの進化の加速やコスト低下、そういう諸々の要因を冷静に見つめ、「不特定多数の集約」という新しい「力の芽」の成長を凝視し、その社会的な意味を、私たちは考えていかなければならないのだ。
悲観論から生まれるものに比べると、楽天主義のもたらす「実行力、可能性」は本当に強大である。忌避と思考停止からは何も生まれないと、梅田さんは説いている。この姿勢は特に、若い世代に必要だろう。シリコンバレーにあって日本にないもの。それは、若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」だとしている。
まるちょうの思うに、オプティミズムとは「善い意味での若さ」のことではないか。どんなに年をとっても、楽天的な視点を残している人は、いつまでも若々しいと思う。加齢とともに、恐れとか不安とか「自分はもういいよ」的な考えが支配的になる。でもそこで思考停止せずに、またひとつの山を越えて行こうとする若々しさが、これからの時代、必要とされるのではないか。もちろん言うは易しなんだけど。老化を考える場合、かなり重要な視点である気がする。
次に#2。私自身がこうしてBlogを書いているので、この部分は外せない。梅田さんはBlogを次のように定義づけている。
Blogとは「世の中で起きている事象に目をこらし、耳を澄ませ、意味づけて伝える」というジャーナリズムの本質的機能を実現する仕組みが、すべての人々に開放されたもの
ひとつはチープ革命により、ほぼ無料でBlogが書けてしまうこと。次に、Blogは基本的に「玉石混淆」なのだが、「石」をふるいよけて「玉」を見出す技術革新。これはもちろん、グーグルによるテクノロジーの進化が大きい。これらの状況により、既存のメディアも「Blogなんて無責任であてにならないクズメディアである」という立場を見直さざるを得なくなった。母集団が大きいと、必然的に「玉」の絶対数は増える。例えば本書が発行された三年前で、日本のBlogは500万を越えたらしい。仮に「面白いBlogは百にひとつ」としても、50000も面白いBlogが存在することになる。
そして「Blogは個にとっての大いなる知的成長の場である」という認識。次のような文章が引用されている。
実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの一年半の過程で身をもって実感した。ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。
この部分は、まるちょうにとって真髄と言える。この哲学がないと、Blogは続けられない。Blogを始めて約4年になるが「恐ろしいほど成長した」とも思えないけど、確かに「無形の利益」は発生しているように実感する。自分に正直に「溜め込むよりも無料放出」という姿勢が、とても共感できるんだな。ここにこそ、Blogの自由さ、楽天性があると思う。情報は囲い込むべきではなく、解放すべきなのだ。
最後に、梅田さんはある意味、少年のようだと思う。生きる世界は違っても、こうした若々しい姿勢は見習いたい。内容の濃い一冊でした。以上「ウェブ進化論」について感想など語ってみました。