近況・・親孝行できるということは仕合わせなことだ

父88歳、母78歳。親孝行できるとしても、残された時間はそれほど長くない。でも自分自身も、仕事や自治会やなんかで、それほど構う時間もない。老いた二人に、いったい何ができるんだろう?

さる8月25日に、二人を医家芸術展にお誘いした。いちおうBlogやFBで声かけはしているものの、具体的に誰が会場に来てくださっているのか、分かりようがない。あるいは、誰も来ていないのかもしれないし。というわけで最低限、両親には観てもらおうということ。もちろん、昼ご飯付きで(笑)。膝がわるい母は、最初「私は遠慮します」と言っていたが、ほどなく「行くわ~」との返事。そりゃ、両親そろった方が、こちらとしても嬉しいよ。

当日。JR京都駅で待ち合わせ。伊勢丹8階の「加賀屋」へ。去年は予約が取れなかったのだが、今年はわりと直前にもかかわらず取れた。やっぱ、加賀屋はいいね~! 上品で高級感がある。窓からの眺望も素晴らしい。食事もけっこうたっぷりな献立で、たいへん満足した。昨年は、加賀屋が取れずに仕方なく、近鉄の方の定食屋さんで食べたのだが、やはり格が違うな(親は美味しかった、満足したと言ってくれたが)。来年も加賀屋で行こうと心に決めたのでした。


お腹いっぱいになり、タクシー乗り場まで歩く。母は杖歩行でゆっくり。父はマイペースであちこちに寄り道。二人をちらちら気にしながら、誘導する。昨年は四条河原町に至るまでに大渋滞で困ったのだが、今回はわりとスイスイ。京都文化芸術会館へ。二人は取るものも取りあえず、僕の作品へアクセス。僕は絵の制作の苦労話とか、見所とか、いろいろ解説。二人とも「蝋燭の前の少女」を気に入ってくれた。とくに父はなぜか惚れ込んでくれたようで「これはいい」と言ってくれた。ホント真顔で。嬉しかったなー

一階の喫茶店で珈琲など。胸部CTのフォローアップ(6月と8月)について、両親に初めて告白した。シロと最終診断できたので、話してもよかろう。二人はホッとした表情だった。絵の収納に困っていると話すと、父がひとつもらってもいいと言う。そんなら「ジャンヌ・サマリーの肖像」をあげようかな? 老人は論理力は衰えるが、その直観力や感覚の浸透力は、むしろ純化していくような気がする。例えば良酒が蒸留されていくプロセスのように。父の笑顔をみながら、そんな考えが頭をよぎった。

親とは子どもにとって、ありがたいものである。息子が一所懸命とりくんだ絵画を、決して悪くは言わない。僕が双極性障害で仕事に行けず、病床に伏せっていたとき、母はそのそばで号泣した。でも母は「母親たること」を決して放棄しなかった。あのどん底の10年、両親はずっと僕の味方だった。52歳という年齢になり、立場は逆転している部分もあるけど、究極的には永遠に僕は「父の息子」であり「母の息子」なのである。「血」の不思議さを、たまに考える。親とは、ありがたいものです。

今回、美味しい昼ご飯たべて、医家芸術展に両親を招待したのは、すてきな時間だった。こういうの、親孝行っていうんだろうね。医家芸術展にどなたが来場されているのか知るよしもないが、両親とこうした「いい時間」を過ごすためにも、来年もいい絵を描いて出展しようと思ったのでした。それこそが、丁寧な50代の生き方じゃないかな。以上、近況をひとつ語りました。